自然を通じた成長シリーズ③~自然と子ども達の関わりから見えてくる可能性~ |
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2023年01月07日
「主食って何?栽培の歴史から食を見る」第4回~主食のはじまり(根菜栽培編)
世界の主食には米、麦が最も中心的ですが、もう一つの主食である芋、バナナ、サトウキビに代表される根菜栽培を最初に見ておきます。またこれらの栽培種は主に東南アジアから南米に存在し、米や麦にある政治性や栽培支配といった穀物の歴史とはまた異なった所謂、地場の名も無い農耕民の工夫の中から生まれ育ってきた過程があります。
栽培という意味では麦、コメよりも古くから始まっている可能性もあるバナナ、芋は米や麦の異なり種からの栽培ではない点が特徴的です。バナナも芋も1万年以上前から栽培されていたとされます。その最大の特徴をあげれば野生種と栽培種の違いで、品種改良を人類が初めて行ったのがバナナであり芋であるという事です。品種改良って何というのも含めて俯瞰してみます。
★今回は中尾佐助氏の「栽培植物と農耕の起源」という本から紹介していきます。
>現在の栽培バナナの主流になっているものはマレー半島付近からおこったと言われている。いちばんの先祖になる野生の種類はムサ・アクミナータと呼ぶ種類である。これは大きな果実ができるが、その中にはアズキ大の種子がいっぱいつまっている。
味も香りもよいが、これでは食べられたものではない。バナナが野生種から栽培種へと品種が優良化するのは種無し果実へ進歩することである。バナナの栽培化の最初の進歩は、たまたま雌花に雄花の花粉がつかなくても種無しの大きい果実のできる性質(単位結果性)をもった変わり物を、野生の中から探し出したことからはじまったと想像される。
これを選んで掘り取って、植えたり保護したりしたのが人類最初の農業だと考える人がいるわけである。この単位結果性はそのまま持ちながらさらに雌花に受精能力がなくなった品種、さらに雄花に受精能力が無くなった品種、さらに雄花に健全花粉までができなくなった種類という具合に種無し性は完全になっていき、優良な2倍体品種群ができてくる。
こちら様よりお借りしました。~バナナの祖先
バナナの品種改良はあらゆる果物の中でいちばんみごとな成果を上げている。熱帯でも類の少ないオールシーズンに収穫できる果物となったし、種無しの果実という点ではブドウよりもミカン類よりも、ましてリンゴや桃とは大違いの大発達である。
バナナでは単位結果性という遺伝的突発変異体を探し出し、それを土台として三倍体を主力とする種無し果実を実用化させた。果物類でバナナほど倍数体を上手に利用したものは文明圏でもまったく比べるものがない。その改良はほとんどがこんにち民族名すらはっきりしないような未開発地域の土民たちが成し遂げたものである。
★芋についても見てみます。
>カロリン郡島のポナペ島では昔とほとんど変わらない生活をしている。1年の半分はパンの木の実を食べ、後の半分はヤムイモを食べて暮らしている。どちらも宅地の回りにボチボチと植えられているだけだが、それでも結構日常の食糧に事欠かない。
こちら様よりお借りしました。
ヤムイモの種類は200種類もあり、全て蔓性で根は芋になる。
その芋は加工法さえ間違えなければ全部食べられる。このヤムイモは千差万別である。最も野生種に近いものは芋の表面にたくさんの根を生やして形態で掘りとるのがむつかしく、イモに根が生えているので調理に不便である。
ところがボナペ島の栽培品種を見るとイモが太く短くなり掘りやすくなっている。また一本の茎から数本のイモが出ているものもある。このような形態から見るとイモがほとんど球体になり、表面にはまったく根がなく、イモの上部の茎のところだけから根が生えているのが一番進化した形態と言えよう。ところがヤムイモの品種改良はまた別の方向へも向かっている。
大問題は肉質と味である。摺り下ろすと日本のトロロのようになる品質とそうならない品種とがある。味にデリケートないろいろな区分をしており、その結果赤ちゃんの離乳食用の品種、ピクニック弁当用品種、酋長の宴会用の品種などといったものに分かれている。宴会用品種とはとくに数年かけると大型になる品種で、それをかついで宴会に出かけると、自慢になるといったわけである。こんなにいろいろなちがいに豊産性、耐湿性、早晩性などを組み合わせると1軒のボナペ島民は20種類以上を一人で栽培する必要が起きる。それで島内に合計200種類のヤムイモがあることになるのである。
★バナナにしろ、イモにしろ品種改良を重ね、どんどん食べやすく、また多品種に、さらに美味しいものになっていったのがその歴史で、品種改良を最も表している植物とも言えます。ここで品種改良とは何かを少し述べておきます。遺伝子組み換えは現在の話として、品種改良は長い時間かけて何世代もかけて実現していった産物です。
「品種改良とは、家畜や栽培植物などにおいて、より人間に有用な品種を作り出すこと。
具体的な手法としては、人為的な選択、交雑、突然変異を発生させる手法などを用いる。
品種改良は必ず遺伝子の改変を伴うので、人工的に遺伝子を変える遺伝子組換え技術も含まれる。家畜にしても栽培植物にしても、その歴史は数千年に渡るといわれるが、おそらくはその間に、より人間に有利な特徴のあるものを選び、それを優先して育てることがあったと思われる。
小麦等については、数種の原種の間に生じた雑種であることが確かめられているから、恐らくその間に偶然に生じた雑種を、特に選んで育てた経過があったはずである。」リンクより借用しました。
★再び著書から紹介します。
東南アジアの熱帯雨林の中でバナナ、ヤムイモ、タローイモ、サトウキビの4つの栽培植物を開発したことは人類の生活史上の革命の一つと言われています。この根菜農耕文化は麦中心に発達した地中海地域の農耕文化とは大きな差を見せており、その特徴は以下のように考えられる。7つあるが2つだけ紹介しておきたい。
1)無種子農業であること。農業に種子というものが利用されることがない。すべての作物は根分け、株分け、挿し木などで行われていて、植物学的に言えば栄養繁殖のみで行われていることである。この無種子農業は人類の知識がまだ、植物の種子繁殖ということを認識できない段階のときに開始されたものであろう。
2)倍数体利用が進歩している。ウビ農耕文化の主要作物は、品種改良が多面的にしかも非常に高度にまで進展している。バナナでは3倍体が主力で4倍体もあり、パンノキでは3倍体を使って、それぞれみごとな種無し果実を作り上げている。ヤムイモの中には大部分8倍体であるし、中にはさらに14倍体まである。このように栽培品種に世界のほかのどの農耕文化よりあるいは近代育種技術の成果より、さらに倍数体品種がよく育成されてきたのは東南アジアの根菜農耕の特色である。
★これら根菜農耕を見て思うのが、なぜ品種改良を古代人たちは発見し、実施してきたのか?数世代、100年、1000年をかけて作り込んできたのが栽培です。非常に熱意があるとも言えますし、食に対する旺盛な探究心があったとも見て取れます。
なぜ、永続的に続いたのか?
仮説ですがやはりこのブログでも触れた「別集団に喜んでもらうもの(=作物)を届けたい」という贈り物発ではなかったのでしょうか?例えば果物は今でも贈り物としては中心的ですし、種のないバナナや酋長に届けるヤムイモ等もいかに喜んでもらえるか、が原点にあるように思います。
たかが、贈り物で、と思われる節もあると思いますが、人々の追求心を汲み上げていくのは食糧不足などではなく豊かな地から工夫と知恵を使った栽培種が登場したというのが当ブログでの仮説です。これは麦や米より歴史もあり変異も大きいバナナ、イモといった栽培種が政治的未開の地域で登場したことからも言えるのではないでしょうか?
次回からは麦、米を扱い、この仮説がどのようにそれらの作物であるのか展開していければと思います。主食はなぜ主食になったのか・・・麦、米にはまた別のそれぞれの歴史があるように思われます。ただ、主食になるということは多くの品種改良の歴史があるという事ではないかと思っています。
投稿者 tano : 2023年01月07日 TweetList
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