農のあるまちづくり9~テレビマンが農業に転職したわけⅢ.無知の自覚がもたらす活力 |
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2021年04月23日
農のあるまちづくり10~テレビマンが農業に転職したわけⅣ.
【農のあるまちづくり9~テレビマンが農業に転職したわけⅢ.無知の自覚がもたらす活力】
に続いて。
都市農業の本質を考える。
以下、転載(「東京農業クリエイターズ」2018著:小野淳)
■都市農業の現状に唖然とする
会社を移って最初の所属は商品部。ここでは「地場野菜」と呼ばれる多摩地域(東京都下)産野菜の、集荷と流通にも携わっていました。しかし、もともと10ヘクタール規模の農場にいた私は、正直なところ、まちなかで農業を営むことに対しては、かなり懐疑的だったのです。
見渡すかぎり農地という場所で、朝から晩までトラクターを走らせながら、分刻みで働いても利益が出なかった。なのに、住宅に囲まれ、点々と散らばった狭い農地での効率のよくない農業で、生計が成り立つとはとても思えませんでした。
そのうえ、都市計画法などの基礎知識がないと理解しづらい生産緑地制度など、何度聞いても概要がつかめません。ようやくわかったのは、都市の農地は貸し借りがほぼできないため経営規模は拡大できず、さらに、相続が発生すると大幅に農地が減少し、多くの農家は駐車場やアパートなどの不動産経営が主たる収入源になっていること。これでは都市で「農業」を続ける意義はないように思えます。つまりは大きな家庭菜園に過ぎないのでは?というのが、率直な感想でした。
商品部の仕事を続けながら、私に市内の宅地での農園開設というミッションが与えられ、2年目に個人向け貸農園を開園しました。その頃にはずいぶん事情が見えてきて、都市農業をめぐる複雑な状況こそがユニークで、参入障壁がとても高いからこそおもしろいのだと感じるようになっていたのです。
農業を単純に商売としてとらえるのではなく、「家業を守る」「地域を守る」という観点で見なければ、都市農業の本質は見えてきません。農村は、よく「保守的でヨソ者を受け入れない」と言われますが、地域の価値は先人が長い時間をかけて築き上げたもの。新規参入企業などのヨソ者は、それらを気軽に利用し、消費し尽すだけで去っていくことが多いのも事実です。それを知ると、地域にとってヨソ者を受け入れるリスクの大きさがわかってきます。
農業は、単に「農産物を栽培して売る」という商売ではないのです。祭りをはじめとする地域の文化、治安、防災、政治などと一体となって存在し、一朝一夕では醸成できない地域資源を生み出しています。それが、いわゆる地方の農村だけでなく、都市部で農業が息づく地域にも同様の営みが残っていること自体が、私には衝撃的でした。
地域の共同体が失われていることは、以前から指摘されています。拘束時間が長く、転勤も多いサラリーマンの働き方では、地域との接点は薄くならざるを得ません。しかし、担い手不足で存続が危ぶまれながらも、21世紀の現代にも古くからの共同体は残っています。私の暮らす地域最大の祭り「谷保天満宮例大祭」は、1100年以上の歴史を保ち、私のように祭りに加わるヨソ者がほかにもチラホラいて、担い手となりつつある兆しも見えています。
都市農業の周辺に残る地域資源を、消費するだけでなく、私たちなりに活用して発展させていきたい。それが「NPO法人くにたち農園の会」の設立の根幹でした。私たちの農園は、新たなコミュニティをゼロからつくっているのではなく、もともと地域が持っている価値を発展的に活用しているところが重要なポイントです。
話がずいぶん横道に逸れましたが、私自身の変遷が、「都市住民」の典型的消費者から、農業にのめりこみ、地域と出会い、家族ともども「地域住民」になりつつある……というわかりやすい流れをたどっていることが、わかってもらえたと思います。
さて、そうなってくると、もはや制限の多い雇われの身では不自由を感じるようになってきます。2014年、私は株式会社農天気を設立して独立。農サービスを開発・提供する自分の会社と、まだ任意団体であった「くにたち市民協働型農園の会」でのコミュニティ農園「はたけんぼ」運営の二本を生業にしようという覚悟も決まりました。
投稿者 noublog : 2021年04月23日 TweetList
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