農と全人教育11~若者の「地方移住・帰農」の行方 |
メイン
2020年03月19日
農と全人教育12~国策としての農業壊滅
職場の燃え尽き度が高い都市ランキングで、東京が世界1位となった。
市場縮小局面でなお「経済成長」を掲げ、都市部への資本・人口集中に活路を見出そうとする政策の結果が、これだ。
挙句、行き過ぎた都市集中は、地方切り捨て・豊かな里山自然の止まらぬ荒廃を招き、農業を壊滅させる。
以下、転載(「農業を株式会社化する」という無理 著:内田 樹)
■国策としての農業壊滅
「シンガポール化」というのは都市部への人口集中のことです。そのためには地方が居住不能になるということが必要になります。ですから、農業の壊滅というのはある意味では国策的に進行していると僕は思っています。「ちょっとしたきっかけで、都市住民が農村で自給自足の生活ができる」というような「逃げ場」があっては困るからです。
都市しか居住できない国。都市から一歩外に出たら、もう生活が成り立たない国。それが「シンガポール化」政策の目標です。理想的には全人口が東京に集まり、あとの地域についてはもう行政の管理コストがゼロになっている状態にしたい。企業が利益を最大化するためにはそれが最善のかたちだからです。いくらでも替えがいて、都市に暮らす以外に生きる道のない労働者が大量に集住していて、彼らが画一的な消費活動しかしないのであれば、低賃金で働かせて、稼いだ賃金を全部生活費として消費させることができる。払った給料がそのまま家賃や食費として回収できるというヤクザが多重債務者を追い込む「タコ部屋」みたいなシステムですけれど、それを国家レベルで作り上げようとしている。
でも、日本の自然環境は「シンガポール化」には向かない。温帯モンスーンの豊かな自然環境のおかげで、都市住民でも簡単に帰農できるからです。都会から逃げようと思えば逃げられる。田舎に逃げられる。「逃れの場」がある。それを看過しては「シンガポール化」はできない。ですから、そういうことができないように、「退路を断つ」ことが必要になる。
いま、「地方が居住不能になる政策」が国レベルでも地方自治体レベルでも追求されています。そういう剥き出しの言葉づかいはもちろんしませんけれど、国が向かっている方向は「地方の居住不能化」だと言って間違いないと僕は思います。
「コンパクトシティ」構想がそうです。あれは人口の少ない過疎地を維持するためには行政コストがかかりすぎるから、もう「住むのを止めてくれ」ということです。過疎地に少人数の住民が残っていると、インフラの整備がたいへんだからです。道路を整備したり、ライフラインを管理したり、警察や消防や医療や教育の基本的な制度を整備しておかなければならないけれど、そのコストがもったいないというのです。行政コストの「無駄」をカットしたいので、過疎地の人たちは故郷を棄てて、地方都市駅前の「コンパクトシティ」に移住してくれ、と。でも、そうなれば、日本の里山のほとんどはいずれ無住の荒野となる。耕作放棄地ですからもう産業がない。道路も鉄道も通っていないし、バスも来ない。警察も消防もないし、医療機関や学校もない。そこで暮らしたければ暮らしてもいいけれど、道路が土砂崩れになっても、橋が落ちても、トンネルが崩落しても、誰ももう補修してくれない。そこに住みたいという人間が自己責任で道を通すしかない。犯罪があっても警察が来ない、火事になっても消防が来ない、病気になっても医療施設がない、勉強したくても学校がない。そういうところに「それでも住みたい」という人はそのリスクを自分でとってくれ、と。それが「コンパクトシティ」構想の本音です。
ですから、「地方創生」とか言っていますけれど、実態は「地方の切り捨て」です。たしかにコンパクトシティに過疎地の住民が集まれば、いっときは活況を呈するかもしれません。高齢者用の介護ビジネスとかが雇用を創出するかもしれません。でも、故郷を棄てて、「コンパクトシティ」に移住してきた高齢者たちはそこではもう何も生産しません。年金や貯金の切り崩しで消費するだけです。そのうち彼らが死んでしまうと、コンパクトシティ自体がかつての里山と同じく居住不能になる。そこを管理維持するコストに見返りが期待できないからです。ですから、いずれ隣接するもっと大きな地方都市から「人口の少ないコンパクトシティを維持する行政コストは『無駄』だから、そこに住むのは止めて、もっと人口の多い地方都市に移住してくれ。それでも『住みたい』というのなら、そこには交通も通らないし、ライフラインもないし、警察も消防も…(以下同文)」ということを言われるようになる。自分たち自身がかつてはそのロジックに基づいて里山の住民たちに向かって「人口の少ない地域に住むのは行政コストの無駄だから、人口の多い地域に移住しなさい」と言ってきたわけですから、いまさら「それでも今いるところに住み続けたい」とは言えない。ですから、「行政コストの無駄を省くために過疎地への行政サービスをカットする。それでも住みたいという人は自己責任で不便に耐えろ」というロジックに一度でも「理あり」としたら、その後は、数十年かけて、首都圏以外の全地域が居住不能になるまで移住を繰り返すしかなくなる。
日本の人口は21世紀末で中位推計で5,000万人まで減ると予測されています。あと80年で7,000万人以上の人口減です。こんなスピードで人口減を日本人も世界のどの国の人たちも経験したことがありません。それに対して「行政コストのカットのための居住地制限」という一見すると合理的な政策で応じた場合に、短期間に日本の里山のほぼすべてが居住不可能になるでしょう。総務省や国交省が目指しているのは、とりあえずはそのような方向です。もちろん、口に出してそんな剣呑なことは言いませんけれど、人口減少局面でなお「経済成長」というようなありえない政策を掲げている以上、地方の切り捨ては避けられません。
投稿者 noublog : 2020年03月19日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.new-agriculture.com/blog/2020/03/4392.html/trackback