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2020年03月12日

農と全人教育11~若者の「地方移住・帰農」の行方

潜在思念を道しるべに、「地方移住・帰農」に動き出した若者たちと、積極的に受け入れ始めた農村共同体。

今のところ政府は、この状況を傍観している。
しかしこの潮流が高まるにつれ、政府は警戒心を持つだろう。

地方移住→都市部における生産人口減は、資本主義からすれば許し難い事態をもたらすからだ。

 

以下、転載(「農業を株式会社化する」という無理 著:内田 樹)

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■若者の地方移住の行方
いま、多くの若者が地方に移住して帰農し始めています。誰かが「そうしろ」と言い出したわけではありませんし、誰かが旗をふって「みんなでこれから農業やろうよ」と言っているわけでもない。なんとなく地方に移住し、農業を始めたり、お酒を造ったり、養蜂をしたりする若者たちが出てきた。主導的な理論もリーダーもいないままに「なんとなく」始まったという点が大事だと僕は思います。集団的な叡智というのは、「なんとなく」、同時多発的に始まるというかたちをとるものだからです。

これまででしたら、都会で生活してきて農業経験がない若者が農村に移住して、そこで農業をするということはきわめて困難でした。農村というのは強固な共同体ですから、異物の侵入に対しては警戒的です。ですから、農村に移住して、絵を描くとか、陶芸をするとか、作家活動をするというような「物好き」な人は受け入れても、農業をするという人たちに対しては「どうせ長続きしないだろう」という冷たい見方をしていて、積極的に帰農を呼びかけるとか、支援するというようなことはありませんでした。それがここにきて風向きが変わった。少子・高齢化による農村の限界集落化が急速に進行したからです。先祖伝来の農地を守り、農業文化を守り、村落に伝わる祭祀や芸能を守るためには、「猫の手も借りたい」という状況になった。異物に対する排除のハードルを下げざるを得なくなってきた。

一方にそうした地方の状況があり、他方には、都市における雇用環境の劣化があります。バブル崩壊以後の経済的低迷の中で、若い人たちの都市における雇用環境は劇的に劣化しました。団塊の世代の大量離職によって求人だけはあるけれど、賃金は下がり続け、40代でも非正規雇用、年金や医療や福祉の制度も先行きが見えない。結婚もできないし、子どももつくれないという労働者が大量発生した。大企業は史上空前の利益を上げているというのに、都市労働者の雇用環境は劣化するばかりです。もちろん、これはおおかたは現政権の経済政策、労働政策のせいなのですけれど、とにかく都市の賃労働生活には未来がない。それに比べると、地方では、労働環境は良好で、物価も安く、自分の家も持てるし、恵まれた環境で子育てもできる。現金収入は減るけれど、諸式が安いから、生活のクオリティーはむしろ向上する。バブルの頃なら、都市での現金収入を捨てて、田舎での生活にシフトするためには、ある種の決断が必要だったんでしょうが、今はそれほど決断が要らない。農村のほうからも「来て欲しい」と言ってきているし、帰農するなら、最初の3年間は住まいと給料を支給しますという自治体だってある。都市部における若者の雇用環境がこれだけひどいことになっていて、農村のほうが歓迎しますと言っているわけですから、農村への移住は起きて当たり前だと思います。

 

今のところ政府は、この状況を傍観しています。まだ年間数万人という程度の移住規模ですし、地方から都市への若者の移住のほうがまだ圧倒的に多いのですから、実害はないと見ているのでしょう。でも、地方移住がある程度以上の規模になったら、政府も警戒心を持つようになるでしょう。都市部の生産年齢人口減は経済政策上許容できないことだからです。そんなことになったら、住む人が減るので地価は下がり、消費者が減るので物価は下がり、労働者が減るので賃金は上げざるを得ない。資本主義経済からすれば許し難い事態となる。

政府は少子化が避けがたい趨勢であるということがわかってから後は、「地方の切り捨て・資源の都市部への集中」を政策の軸にしてきています。人口減局面でさらに経済成長しようとしたら、打つ手は限られています。それは都市への資源集中です。僕は「シンガポール化」と呼んでいますけれど、経済成長を国是として掲げた場合には、シンガポールと同じような都市国家にして、そこに全部の人口を集中させるしかない。都市部以外の地方は切り捨てる。自力で生産して、自力で自分の食べる分を確保できるという生き方を否定する。そういう自立した市民を日本からなくしてゆく。日本人全員が都市部に暮らし、賃労働で得た賃金を都市部で消費するだけしかできないという状態に追い込めば、人口減局面でも経済成長することは可能だと思っている人たちが「シンガポール化」を構想している。

「シンガポール化」はいま日本のあらゆる局面で進行中です。例えば、就活というのは「狭いところに大量の人間を押し込む」ことによって雇用条件を企業に有利なかたちに持ち込むために財界と就職情報産業が作り上げた仕掛けです。求職倍率を人工的にかさ上げすることによって、求職者がなかなか就職できないような仕組みを作る。100社受けて100社落ちるようなことが日常化すると、最終的には「どんな雇用条件でもいいから雇ってさえくれればいい」という気分になります。落ち続けた経験で自己評価は下がっていますから、「どんな職場で、どんな過酷で理不尽な労働条件でも働きます」という気分になっている。
雇用条件を切り下げるのは簡単です。「同じような職域に必要以上の人間が求職に押しかける」という状況を無理にでも作り出せばいい。そのためには新卒一斉採用という意味のない制度が死守されている。

投稿者 noublog : 2020年03月12日 List   

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