都会における人と植物の共存 |
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2018年08月02日
アクアポニックス 循環型農法の軌跡を1000年前から振り返る
前回、「新しい農のかたち」 ということで、アーバンファーマーズクラブ を紹介しました。
彼らの活動は、屋上に、野菜をつくるというところから始まりました。
さて、屋上緑化や、屋上庭園を設置する場合、軽量人工土壌という特殊な土壌がよく使われます。
何故か?
重さが土の約半分のため、建築物に対する荷重負担を低減できることが大きな理由です。また、自然の土と比べ汚れにくく、工期的に雨に影響されず施工できることも理由のひとつです。
この軽量土壌は、通常の土より厚さが薄くても植物は育ちます。また空隙率が高いため、乾きやすい性質があります。一方で、植物の根腐れを起こさせないために、この土壌下部のプラスチックのパレットには、水が落ちる穴をいくつも開けておく必要があります。
なので、植物の成長に欠かせない「水」(※普通は、水道水)が、大量に必要になります。そして、システム上、水の供給量は、植物の成長に必要とされる量より、過剰気味になるのが一般的です。
要は、屋上に緑化を構築することは、大きなプランターの中に植物を成長させることと同じで、プランターの底から溢れるように、植物に水やりを行うことからも想像がつくと思います。(※溢れた水は、下水道に排水されます。もったいない・・・・)
☆さて、この大量の水を、ただ、排水させるのではなく、循環させて利用することはできないものだろうか?
そんな中、農業用地のない大都会で野菜や魚を育て、地域の人たちに供給しようという“アーバンアグリカルチャー”の試みが、世界で注目を集めています。
「コミュニティ・ファーム」や日本でも増えている「貸し農園」などが一般的ですが、オランダでは廃墟ビルで野菜と魚をオーガニックで育てる「アクアポニックス」というユニークなプロジェクトが行われています。
さて、このプロジェクトを紹介する前に、この施設のルーツとなった、アクアポニックスというシステムを今回は取り上げたいと思います。
野菜や魚を育てながら、水を循環して利用するという画期的なシステム・・・・・
~最も地球にやさしい農業~
アクアポニックスは、水産養殖(魚の養殖)と水耕栽培(土を使わずに水で栽培する農業)を掛け合わせた、新しい農業。魚と植物を1つのシステムで一緒に育てます。魚の排出物を微生物が分解し、植物がそれを栄養として吸収、浄化された水が再び魚の水槽へと戻る、地球にやさしい循環型農業です。
~アクアポニックスの歴史(古代〜現代)ーー循環型農法の軌跡を1000年前から振り返る~
魚と野菜の生産を組み合わせ、ひとつの統合システムにするというアイデアは、実は新しいものではありません。統合された水産養殖の先例としては、メキシコの「チナンパ」と呼ばれる農法や、アジアの一部に広がる水田システムが含まれ、古代から存在していました。
しかし、私たちはどのようにこれらの古代技術を知り、現代の(庭にも置けるサイズの)バックヤードアクアポニックスまでたどり着いたのでしょうか?
◆ルーツは1000年前
「アクアポニックス」という言葉は1970年代に誕生しましたが、そのルーツは古代にまでさかのぼります。ただ、最初の発生時期については未だ議論が続いていて、はっきりはしていません。
最も古い事例のひとつは、低地に住んでいたマヤ族、それに続いてアステカ族が行っていた、河の表面につくった”いかだ”上で植物を育てる農法です。今から1000年ほど前の、西暦1000年頃だと言われています。
メキシコ原住民族のアステカ族が、「チナンパ」と呼ばれる”浮き島”上で植物を育てる技術を生み出し、これが農業用途のアクアポニックスとしては最初の形であると言われています。
チナンパは、運河と人工的に作られた浮き島との繋がりで形成され、浮き島の栄養豊富な泥と運河からの水をつかって作物が栽培されていました。
初期のチナンパでは、植物の栽培場所は、浅い湖に浮かんだ固定(ときには移動も可能)の島。運河や周辺の都市から栄養豊富な水が流れこみ、それを灌漑に利用していました。
~水田栽培 – 古くからあった”循環”
もうひとつの古い事例が見つかるのは、中国南部、タイ、そしてインドネシア。ここでは、魚を用いた水田栽培が行われていました。この農法は、多くの極東地域の国々でも存在し、東洋ドジョウ、タウナギ、コイ、フナ、そしてタニシなどが水田で育てられていました。古代の中国では、畜産・水産・農産が統合されており、そこでは、アヒル、魚類、植物が共生関係の中で一緒に育っていました。アヒルは、かごの中に収容された状態で魚の池の上に配置され、その老廃物は魚のエサに。さらに低い位置の池では、魚の池からあふれた老廃物を食べて育っているナマズが泳いでいました。そしてシステムの最下部では、ナマズの池からあふれた水が、米と作物の灌漑に使われていたのです。
◆現代のアクアポニックスの発展
「アクアポニックス」という用語は、「ニュー・アルケミー・インスティテュート」と、ノースカロライナ州立大学のマーク・マクマートリー博士の様々な研究に起因します。
ジョンとナンシー・トッド、ウィリアム・マクラーニーは、1969年に「ニュー・アルケミー・インスティテュート」を設立。彼らの努力の集大成は、バイオシェルター「Ark」(箱舟)のプロトタイプ建設でした。
「Ark」(箱舟)は、総体的に技術を適用したソーラー発電式の自給自足バイオシェルターで、4家族が1年間に必要とする魚、野菜、そして住まいを提供できるものとしてデザインされました。
これと同じ頃の1970年代には、養殖システム内で植物を自然のフィルター(ろ過機能)として活用する研究が始まり、そのなかでも特に注目されたのが、バージン諸島大学のジェームズ・ラコシー博士によるもの。
1997年にラコシー博士とその同僚は、水耕栽培で一般的に使われる「Deep Water Culture」と呼ばれる方法(水に浮く板に穴を開け、植物はその穴から水中に根を生やす)を、大規模なアクアポニックスシステムに用いました。
一方で1980年代には、マーク・マクマートリー博士とダグ・サンダース教授が、世界で最初の閉鎖型(循環型)アクアポニックスシステムの開発に成功します。
このシステムでは、魚の水槽から流れ出た水が、砂が敷き詰められた育成タンクに植えられたトマトやキュウリの肥料となり、タンク自体もフィルターとして機能。タンクからあふれ出て濾過された水が魚の水槽に戻り、再循環が実現されていました。
マクマートリー博士の研究によって、アクアポニックスの背景にある多くの科学が実証されたのです。それは、しっかりと機能したのですから。
◆商業用システムの登場
世界で最初の大規模商業アクアポニックスの施設は、マサチューセッツ州アマーストにあるバイオシェルター。完成したのは1980年半ばで、今も現役で動いています。
その後の1990年代初頭に、ミズーリ州の農家、トムとポーラ・スペラネオが「Bioponics」という概念を提唱。彼らは、2200リットルの水槽にティラピア(ズスキの一種、和名は”いずみ鯛”)を泳がせ、そこから流れ出る栄養豊富な水を利用して、砂利を敷き詰めた循環型の育成タンクで、ハーブや野菜を育てていました。
砂利の育成タンクは、水耕栽培の農家の間では何十年も使われていたものでしたが、それをアクアポニックスにうまく適用したのは、スペラネオ達が初めてでした。彼らのシステムは実用的かつ生産的だったので、様々な地域で広く再現されていきました。
カナダにおいても、1990年代にアクアポニックスシステムの設置が増加。商業システムとして圧倒的に多かったのは、より価値の高いマス(鱒)やレタスなどの作物を生産するものでした。
◆続き
このように、アクアポニックスは、都市農業に欠かせないシステムになる可能性があります。
昨今の日本を襲う猛暑による水不足による野菜の不安定な供給状況も、このシステムを採用することで、いくらか改善されるかも知れません。
さて、次回は、最近のアクアポニックスのシステムを採用した事例を紹介します。お楽しみに・・・
投稿者 noublog : 2018年08月02日 TweetList
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