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2016年03月08日

コミュニティビジネスがひらく、新たな「農」の可能性~失われていった「自給自足」、求められる「起業家精神」

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前回の記事はこちら→コミュニティビジネスがひらく、新たな「農」の可能性~農業・農村の多面的機能を、「社会資源」としてどう活用していくか

 

「農」の可能性を様々な形で引き出し、都市と農村をつなぐことで活力を再生させてきた「えがおつなげて」。

今回は、そもそもこのような活動をするに至った背景・創設者の意識について、ご紹介していきます。

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■高度経済成長、そしてバブル崩壊後

 私は1961年、長野県の南部、下伊那郡のある町で生まれた。1960年代の日本は、高度経済成長の真っ最中だった。高度成長の影響は都市部だけではなく、農村部にもはっきり現れていた。60年代後半から工場がたくさんできるようになり、それらの多くは大企業の下請け工場だった。70年ころからは精密機械の下請け工場が次々に進出してきた。工場ができた結果、農村の生活にも少しずつ変化が生じた。

 

我が家は、専業農家ではないが、生活のベースは自給自足的かつ地産地消的であった。自給のための畑があり、味噌も自前で作っていた。コメや果樹は作っていなかったが、親戚農家と融通しあっていた。また、下伊那には「ころ柿」を各家で作る習慣があり、渋柿を軒先につるし、ほどよい甘さになったところで食べるのだが、これも自家用に作っていた。自宅には薪でご飯を炊くかまど、五右衛門風呂、さらに土間には井戸があった。子供のころから私はこうした自給自足的かつ地産地消的な暮らしの中にいた。

 

我が家の家計は、この自給的な経済と、現金収入の両方に支えられていた。このような家庭だったが、日本の農村によくあるパターンとして70年ぐらいから次のような変化が起こった。町工場が増えてくると、まず母が工場に働きに出るようになった。その結果、自給生活の割合がどんどん減っていった。その方が手っ取り早く現金が手に入り、手間と時間が省けるからだ。次第に野菜や味噌、ころ柿を作るのをやめるようになった。日本の田舎はどこも同じような風潮だったと思う。母が工場で稼いだお金で、家のかまどをつぶし、五右衛門風呂をつぶし、土間をつぶし、井戸も全部つぶした。その代り新建材の、シャンデリアがある家に改修された。そのころ東京では2DKとか、2LDKなどの住宅が流行していたと思う。農村の人たちも、そのような生活様式にあこがれを抱いた。

 

地域自給的な暮らしのスタイルが農村からだんだん消えていき、工場勤めをする生活スタイルに変わるのを見て、私は直感的に非常に危険だと思った。「これは絶対続かない、いつか破綻するときがくる」と感じた。この直感は現在の活動の根っこになっている。さらに、今の世界や日本の状況を思うとき、いよいよこの危機感が強くなっている。

『農業再生に挑むコミュニティビジネス』(ミネルヴァ書房)より引用

 

 

■たんなる働き手ではなく起業家を

 バブルが崩壊する局面の1990年代前半当時、金融機関のコンサルティングを行っていた私は、地方は今後、自立を求められるだろうと感じていた。そんな思いを抱きつつ、1995年、山梨県北杜市に移住し、それ以来、農村で活用されていない資源を生かす取り組みをしてきた。そのなかで、耕作放棄地や森林資源を活用して商品化し、世に出してきた。そこで常に気になったことがある。農村には資源が豊かにあるにもかかわらず、活用されない資源がなぜこんなにも増えてしまったのかという点だ。

 

日本の農村は、少子高齢化で担い手不足だといわれる。それがまずその大きな背景にあるだろう。しかし、減少したとはいえ地域に担い手もいるはずである。ではなぜ、その担い手は農村の資源を「活用する」担い手となり得なかったのだろうか。私は、活用されていない農村の資源を生かすには、働き手としての役割だけでなく、「起業家」としての役割が必要だからだと考えている。農村にある資源を生かして起業をしていく、地域の「起業家」が不足していたからだと思うのだ。さらにいえば、農村では今まで「起業する教育」などもあまりなされてこなかったのだと思う。農村の資源の宝は豊富にあるのだから、農村における起業家としての役割が大いに期待される。この起業家の活躍によって、農村の資源が活用され、それによって新たな雇用の機会にもつながるからだ。

 

そんな問題意識のもと、私は農村起業家を育てる研修も行ってきた。農村資源の価値付けや商品化、ターゲットとするマーケットに販売するビジネスモデル作りなどだ。10年以上続けてきたので、これまで研修を受けられた人は全国で500人以上になった。次に紹介する山梨県南アルプス市の小野隆さんもその一人だ。この小野さんのように、地域の宝を生かした事業を全国各地で実際に始めている人がいる。それによって、地域の資源が活用され、小さな産業が生まれ、雇用も生まれ、地域が元気になってくる。想像してみてほしい。もしも小野さんのような起業家が、その地に誕生していなかったら、新しい産業や雇用や、その地域の新しい芽が生まれなかったことを。

 

 

 

投稿者 noublog : 2016年03月08日 List   

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