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2016年01月12日

コミュニティビジネスがひらく、新たな「農」の可能性~「農」を通じて芽生えた、都市と農村の新たなつながり

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前回記事はこちら⇒コミュニティビジネスがひらく、新たな「農」の可能性~耕作放棄地を『有益な資源』と捉える

 

耕作放棄地をむしろ『有益な資源』と捉え、限界集落化した地域の再活性化に取り組み始めた「えがおつなげて」

その内容を具体的に、お伝えしていきます。

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■小さなさざなみが大きな波に

 都市と農村のつながりは、双方が思っているようにはうまくいかないものである。農村には農村の「理」があり、都市の人間にはそれが理解できない。都会からの人の流れが一方的で、その振る舞いがときに傲慢にみえるのは、人々が農村の「理」を理解していないからでもある。その「理」を理解するには、地域に入り地域の担い手として農村の信頼を勝ち取ることが必要だった。

 

「えがおつなげて」の農場を立ち上げた当初は、村人からは怪訝な目でみられていた。「新参者が人を集めて何かをしている」……それは農村という小さな池に投げられた小石のようなものだった。地域の若者が都会に出てしまった過疎の村に、都会から若者が次々に訪れ、荒れてしまった畑が次々に再生されていく……「あんたんとこはいつも人が来て楽しそうにしているけど、何をしているの?」。小石が生んだ波紋は次第に大きくなり、疑いは驚きに変わった。放棄された畑から作物が収穫され、翌年もその畑が機能しているという事実が農民の気持ちを変えた。「一生懸命農業をやっているようだ。でも素人は素人。何か手伝ってみようか」。新参者と地域住民との間に信頼関係が生まれるのに、それほどの時間はかからなかった。

『農業再生に挑むコミュニティビジネス』(ミネルヴァ書房)より引用

 

彼らの本気の姿勢が、徐々に農民たちの心を開かせていきました。

そして、この主役となったのが、都市部の若者たちです。

 

 都市の若者たちの「農に関わりたい」という思いは、農業ブームといわれる昨今、非常に話題になっているが、ニーズ自体は以前からあった。忙しいウィークデイが終わり、ほっと一息つける週末や夏季休暇、あるいは転職の合間等々、ボランティアでもいいから土を触りたいという若者たちは多かった。しかし素人が農業に関わるのは非常に難しい。農家の作業の手伝いなどはなかなかできないし、そもそもボランティアに作業を教えるよりも自分で作業したほうが早いと考えるのがプロ意識である。したがって、受け入れ先はそうたくさんはない。都市にある潜在的な「農」へのニーズは、生かす場面があまりなかったともいえる。

 

そこでまず、その若者たちの受け皿を作ることから始めた。登録制の農村ボランティアという仕組みを作り、農場で手伝いが必要な期間、いつでも訪れることができるようにした。ボランティアは、自分の都合のよい期間だけ参加することができる。何も知らない若者たちに農業指導をしなくてはならないため、参加費を一律3000円徴収した。そして、食事と宿泊施設は無料で提供することにした。参加費を支払わねばならないボランティアであるにもかかわらず、週末のみでも一週間でも大丈夫というゆるやかな仕組みが都市のニーズにマッチし、多くの農村ボランティアが参加した。

 

さらに2005年からは都市の企業と連携し、開墾ツアー、ダイズ栽培から味噌作りまでの体験ツアーなどのグリーンツーリズムも企画し、都市からの人の流れをより積極的に作り出してきた。その結果、スタートして9年の間に、都市部から増富地域を訪れた人たちは延べ人数で5万人近くとなった。その間に耕作放棄地約5ヘクタールが、畑や田んぼとして復活した。農に触れあう機会を提供すれば、農に触れあう人間の母数も増えていく。村を訪れた農村ボランティアのなかから、そのまま増富地域に定住し新規就農する若者も現れた。人が流れる仕組みを作ったことで、地域に若者が戻ってきたのだ。何名かは今、「えがおつなげて」ののスタッフとして、また地域の新たな担い手として活躍している。

 

「農」を通じて、つながり始めた都市と農村。交流を通じて、農村の人々は一度は失った「村の誇り」を取り戻していきます。

 

 このように、農村に人を呼ぶ仕組みを作ることで、都市からたくさんの人がやってくるようになった。何か地元の料理でも用意したい……しかしスタッフだけでは仕事が回らない。結果、あらゆる場面で地域の人たちの協力を仰ぐことになった。地域の人たちにとって、今まで自分の家族にしか作ってこなかった料理を都会の人たちが「おいしい、おいしい」といって食べること、あたりまえの農作業に「すごい!」と感嘆の声があがること、みなはじめての経験だった。他者から評価されることは価値の見直しにつながる。感動されることは喜びになり、人の笑顔をみることがやりがいに変わっていった。たくさんの人の前で、もじもじしながら料理の説明をしていたおばちゃんは、やがて農家の誇りを持ち自立した一人の女性になった。過疎の村・限界集落という自信喪失の状態から、自己の経験が「貴重なもの」であることを、農村の対極にある都市の人に教わることになったのだ。都市と農村の交流は人と人だけではなく、価値観の交換にもなった。地域を巻き込んだ交流プログラムは、たんに耕作放棄地の解消、人々の交流だけでなく、村の誇りを取り戻すという本当の意味での活性化につながったのだった。

 

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投稿者 noublog : 2016年01月12日 List   

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