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2020年05月07日

農的社会5~広義の農業と狭義の農業

産業としての農業を支える、”広義”の農業。

 

以下、転載(「未来を耕す農的社会」2018著:蔦谷栄一)

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■広義の農業と狭義の農業
都市農業のメインは農業者によって営まれているが、あわせてたくさんの市民・消費者が参画し、関りを持ち提携もしているところで成り立っている。すなわち農業がいわゆる産業としての農業としてだけではとらえきれない実態を有していることを明らかにしていると同時に、時代の変化とともに産業とは異なった部分が持つ価値が再評価され、価値を膨らませてきている。もちろん、農村部の農業においても本来的に同様の要素を抱えているが、都市農業ではそれがより鮮明に表面に出てきており理解しやすいということができる。
一方で都市農業は減少を続ける中で面的な展開は困難となり、集落単位での取り組みは難しく農業者が個別単独で取り組んでいるものが多く、農村部における協同しての農業とは大きく相異していることは承知の上での話である。

そこで日本農業のあり方について考えていくにあたって大きなポイントになるのが農業の概念であるように思う。既に「農業」ではなく「農」という言葉を意識的に使うことによって農業の概念を変えようとする試みも一部ながらも根強くあることも含めて、改めて農業についての概念整理が必要とされるようになってきているように考える。

商品としての農産物・食料を産業として生産していく農業を狭義の農業とするならば、これに暮らし・生活を支える自給としての農産物の生産、あるいは畦の草刈りや水の管理、見回り等環境への働きかけをも含めた「農の営み」「百姓仕事」ともいうべき広義の農業の二つを設定することが可能であろう。
畦の草刈りや水の管理、見回り等環境への働きかけは産業としての農業では評価されないが、これが行われてこそ産業としての農業は円滑に進められることになる。これに景観をも含めた「農」「農の世界」ともいうべきものをしっかりと位置付けておくことが必要であり、都市農業振興基本法ではこれを公共性・公益性と称しているように理解される。またこの「農」「農の世界」こそが農業の楽しさや喜び、誇りをもたらしてくれるのであり、ここに百姓としてのやりがい、生きがいが存在するとともに、国民・市民が魅力を感じて農業に参画しようとするポイントになっていると言える。

 

■「農」「農の世界」の価値
現在、農政の世界では農業はもっぱら狭義の農業に限定してしか論じられないが、経済が行き詰まるにつれ持続性が重視されるようになり、価値観も変化していくことが避けられない中、これから求められる日本農業論は、この「農」「農の世界」を明確にし、その価値を評価していくと同時に、これを膨らませていくことが欠かせない。このように広義の農業と狭義の農業とを区分・明確化すると同時に、広義の農業の中に狭義の農業をしっかりと位置付け、「農」「農の世界」と調和した日本農業としていくことが不可欠なのである。

広義の農業としてとらえる農業の世界は、大規模経営農家を核としながらも、小農経営や兼業農家も重要な位置を占める。そして市民農園等による都市農業、さらには屋上農園や都市住民がベランダ等でプランターを使って行う自家野菜等の栽培をも含み対象とする。言ってみればプロ農家が営む農業だけでなく、たくさんのアマチュア農家、すなわち一般市民による、ホビー農業とも言われるちょっとした農的活動・作業、これを「市民参画型農業」と呼んでいるが、これを含めた農業を広義の農業とする。

広義の農業があってこそ、狭義の農業も存在でき、守っていくことができる、というのが本書の基本モチーフである。広義の農業の中の小農経営や兼業農家、アマチュア農家等も経済原理から免れることは困難であるが、多業的・副業的であると同時に、自給的・生業的でもあり、経済原理に直接的に振り回される部分は相対的に小さい。
これに対し狭義の農業は経済原理に直接的に大きく左右されるものであり、国際競争にさらされるとともに、生産性と価格で勝負することを余儀なくされる。経済原理に左右されるほどに、狭小で起伏が大きく、経済性という面では不利な生産条件に置かれているわが国農業は、経済原理からすれば、生き残りは正直なところなかなかに難しいと言わざるをえない。したがって難しいが故に一定の農業、食料を安全保障の一環として政策支援をもって守っていくかどうかが問われなければならない。このために国としての明確な意志の保持・表明とこれに必要な財政の確保が必要であるとともに、これについての国民の理解獲得が前提となる。

 

■農業成立の条件
ここで先に触れた農業問題と、広義の農業、狭義の農業との関係について確認しておきたい。
広義の農業の中に、狭義の農業も含まれる。本来、生業の中で工業と農業は一体的に結合していたが、工業が分離し発展する中で都市を形成してきたもので、広義の農業は資本主義発展以前の農業と内容的には重なる。まさに「本来の農業」の姿がここに見られる。
資本主義の発展は工業を分離させるだけでなく、農民の階層分化をも促し、専業農家、兼業農家、土地持ち非農家等に分化させてきた。専業農家が狭義の農業を分担し、兼業農家や土地持ち非農家、これに定年帰農や市民農園等に参画する都市住民を加えて広義の農業が形成されてきた。
従前は国土のほとんどは農村であり、そこで生業としての農業が営まれていたものが、工業が農業から分離し、都市が形成される中で、都市住民をも含めた新たな広義の農業が出現してきたといえる。広義の農業は狭義の農業が成立するための必要条件であり、資本主義的経営にはなじみがたい農業問題の象徴となる小農経営や兼業農家は、広義の農業の中では明確で一定の位置を占めることになる。

このように狭義の農業は生業的な衣を脱ぎ捨てながら産業としての農業へと特化してきたもので、もっぱら商品としての農産物、食料の生産にあたる。産業としての農業は国際競争の中で消費者ニーズに対応していくとともに食料安全保障の役割をも主となって担うことになるが、国際競争力に欠ける部分については産業政策によってこれを支援し維持していくしかない。
これに対して広義の農業の中の「農」「農の世界」は産業政策にはなじまないものの、農業の持つ多面的機能の発揮をはじめとして、農業・農村に加えて都市環境を維持していくのに重要な役割を発揮している。この広義の農業については、地域政策とともに、横浜市に見るような良好な農景観の保全、農と触れ合う場づくり、地産地消の推進、緑農一本化の取り組みをも含めた施策によって守っていかなければならない。さらには近年、注目を集めつつある農福連携(農業サイドと福祉分野の連携により、障がい者の就労の場づくりを推進)などもこれに絡んでくることになる。
狭義の農業は産業政策によってリードされると同時に、この広義の農業の核としての位置を占めることにはなるが、地域政策、環境政策等とバランスをとりながら、一体的に展開していくことが求められる。

投稿者 noublog : 2020年05月07日 List   

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