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2020年04月02日

農的社会1~生命原理を最優先する社会

迫り来る大恐慌の先にある、「農」を中心とする新たな社会づくり。

 

以下、転載(「未来を耕す農的社会」2018著:蔦谷栄一)

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まさに人間は自らの力でもって生きていると錯覚し、また人間自らの力で生きていくことができるとの幻想に取りつかれている。人間はもちろん、生きものすべては太陽と土と水なくしては存在することができない。すべては太陽と土と水の恵みによって生かされている。

このきわめて簡明な事実、基本が無視され、忘れられていることが、生きにくい社会、管理社会、そして格差社会、分断社会を招くに至っている。GDP(国内総生産)信仰に象徴される工業原理に未来はなく、改めて生命原理に立ち戻る以外に途はない。

このためには生命に触れ、育てていく体験・経験が絶対に欠かせない。農業者は循環・持続性とともに生物多様性を尊重した農業を展開し、都市住民・消費者との交流を大切にしていくとともに、都市住民・消費者も多少なりとも農業、農に参画し、生命に触れていく。この国民皆農、市民皆農によって生命原理を最優先する社会、すなわち「農的社会」を地域で実践し地域から積み上げていくことが生命原理回復の一番の早道であると考える。

 

■支援あってこそ農業は維持・存立
日本農業については長い間にわたってさまざまな喧々囂々の議論が展開されてきているが、現在も基本的な状況に変わりはない。ただ、議論は続けられながらも年を経るごとに農産物輸入自由化が進行する一方で、担い手は減少し農村の活力低下は著しい。

担い手が減少する中、規模拡大しての農業の効率化や所得増大が必要であること自体には異論はないが、日本の農産物が国際競争力を持ちえないのは日本農業の近代化が遅れているからであり、鉱工業部門やサービス産業部門で高度経済成長を実現したのに対して、農業の近代化が遅れたのは農業者の保守性のしからしめるところであり、創意工夫等の努力が不足しているからだ、とする議論にはくみしえない。

農業は自然条件に依拠するところが大きく、貿易の自由化、グローバル化が進む中で、いわゆる農業大国とされるブラジル、オーストラリア、ニュージーランド等と同様の生産性を獲得していくことは困難である。EU(ヨーロッパ連合)はもちろんのこと、”世界のパンかご”と言われてきたアメリカですら競争力を失い、農産物価格のプライスリーダーとしての地位を喪失してしまっている。農業生産額に対する農業予算の割合(2012年)を見ると、日本は38.2%であるのに対し、フランスは44.4%、イギリス63.2%、ドイツ60.6%であり、アメリカに至っては75.4%というのが実情である。

日本農業は一定の支援なくして維持していくことは困難である。この基本的命題をあいまいなままにして農業者の努力不足、効率化や所得増大を云々するほどに事態は深刻化し、日本農業は輸入農産物に席巻される度合いを増しているのが現状である。

一定の支援をしてでも日本農業を守っていくという明確な国家としての意志とこれに付随した支援措置が必要なのであり、そうであれば、農業が日本にとってなぜ必要であるのか、その存在意義を改めて明確にしたうえで、それにふさわしい日本農業のあり方をめざすべきではないのか。規模拡大、そして市場原理を徹底させていくことが、日本農業が競争力を獲得して生き残っていくための唯一の途であるとする幻想を振り捨てて、こうしたまっとうな議論に一刻も早く立ち戻る必要がある。農業維持のために一定の支援を前提にするならば、規模拡大・所得向上を優先するものと、小農・家族経営を重視するものとに分かれての議論と同時に、税金を負担する側の国民・消費者が多面的機能さらには公共性・公益性の発揮を農業に求める声にもっともっと耳を傾ける必要があるのではないか。

農業の持つ多面的機能、公共性・公益性の基本にあるものこそが太陽と土と水の偉大な力であり、農業者も国民・消費者も人間は自然の恵みによって生かされているという認識に立ち戻るところから出発していくことが求められているように思う。日本農業が大きく失ってきたとはいえ、高い技術や品質へのこだわり、地域コミュニティや景観等、日本農業の持つ長所はまだある程度まで残っており、これらを生かしての農業再生の道を切り拓いていくことは可能であるように考える。

投稿者 noublog : 2020年04月02日 List   

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