農と全人教育9~農業が、産業として成立する基盤 |
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2020年03月05日
農と全人教育10~鎌倉時代の文化形成に深く与る「農」
都市的な文化を築いた平安時代から、土着的な文化を築いた鎌倉時代へ。
そして同時期に発祥した、武道・能楽・鎌倉仏教。
これら日本固有の文化形成(根底に自然との一体化欠乏)に、農業の経験は深く与っている。
以下、転載(「農業を株式会社化する」という無理 著:内田 樹)
■武道と農に通じるもの
僕は、合気道という武道と能楽を稽古しています。こういう伝統芸能にも農業に通じる部分があると思います。
武道の成立は平安末期から鎌倉時代、能楽は鎌倉時代から室町時代にかけてですが、平安末期から後というのは、社会的活動の中心が都市から田園に移っていった時代に当たります。平安時代までは都市中心の消費文化でしたが、それが生産者たちの文化に移っていった。生産者というのはもちろん農民です。社会の主導権が都市貴族から農民と農村に拠点を持つ武士に移っていった。その時代に、武道が体系化され、能が発祥し、鎌倉仏教が生まれる。
平安時代までの文化というのは本質的に輸入文化でした。中国から渡来してきたものを模倣したものでした。ですから、時代的には古いのですけれど、奈良平安時代の文化というのは「都市的」であり、養老先生の用語を借りれば「脳的」であり、日本列島固有の自然環境からは遊離したヴァーチャルなものだった。殿上人たちは土に触ったこともないし、素足で土を踏んだこともないし、農作物が育つプロセスも見たことがなかった。「京のならひなに事につけても、みなもとは田舎をこそたのめるに、絶えてのぼるものなければ、さのみやはみさをも作りあへむ」と『方丈記』にはありますけれど、京都の生活物資はことごとく「田舎をこそたのめる」のだから、地方からの物資の流入が途絶すると、都の人たちは平素の生活を取り繕うこともできないほど困窮した。
平城京も平安京も生活者がつくり上げた街ではなく、計画的につくられた人工都市です。そこから発生するほとんど唯一の自然は排泄物と死体です。そういうものは都市住民の眼から隠蔽され、市外に排除される。だから、都市の中には田畑もないし、魚介類も材木も採れない。自然の恵みに類するものは何もないという環境で、日本の古代文化は栄えたわけです。
【鈴木大拙】によれば、平安までの文化は中国から渡来した文物を模倣したに過ぎないのであって、日本固有のものではないということになります。日本固有の、土着の文化が発生するのは京都から鎌倉に政権の中心が移動した鎌倉時代から後だというのが大拙の説です。
鎌倉幕府の実権を握った坂東武者たちは実際に牧畜をし、土地を耕作していた。地面に近い、土の香りがする生き方をしていた。そういう人たちが政治的実権を握り、経済活動を行い、文化的なものを作り出していった。そのときに初めて日本固有の文化が誕生した。大拙は『日本的霊性』において鎌倉仏教を以て日本固有の宗教性が発動したと論じています。そして、その決定的な契機となったのは農業経験であるとしています。
親鸞は京都で教学を研究していた時にはまだその宗教的覚醒には至っていない。彼が日本的な宗教に目覚めるのは、流刑の後、関東に土着して、そこで農業従事者たちに囲まれて暮らすようになってからであると大拙は言います。
「人間は大地において自然と人間との交錯を経験する。人間はその力を大地に加えて農産物の収穫に努める。大地は人間の力に応じてこれを助ける。人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。(…)大地は詐らぬ、欺かぬ、また”ごまかされぬ”。」
「それゆえ宗教は、親しく大地の上に起臥する人間ー即ち農民の中から出るときに、最も真実性をもつ。」(著:鈴木大拙)
だから都市貴族は没落し、農村を拠点とする武士が勃興する必然性があったと大拙は述べています。
「平安文化はどうしても大地からの文化に置き換えられねばならなかった。その大地を代表したものは、地方に地盤をもつ、直接農民と交渉していた武士である。それゆえ大宮人は、どうしても武家の門前に屈伏すべきであった。武家に武刀という物理的・勢力的なものがあったがためでない。彼らの脚根が、深く地中に食い込んでいたからである。歴史家は、これを経済力と物質力(または腕力)と言うかもしれぬ。しかし自分は、大地の霊と言う。」
大拙の言う、「大地の霊」との霊的交流による鎌倉仏教の発祥は、時期的には能楽の誕生、武芸の体系化とほぼ同時期の出来事です。僕自身は武道と能楽を稽古している経験から、大拙の論に深く納得するところがあります。武道というのは、巨大な野生のエネルギー、自然のエネルギーを自分の身体に受け入れて、調えられた心身を通して、発動してゆく、そのための技術です。人間の身体が力を出すのではなく、身体は巨大な力の通り道に過ぎない。武道というのは、大拙の言葉を借りて言えば「大地の霊」を自分の身体を通り道にして発動させる技術なのです。能の場合も構造は同じです。無幻能の場合は、神霊や死霊がシテの身体に憑依して、シテの調えらえれた身体を通り道にして、能舞台の上で美的なかたちで表現される。
武道も能楽も鎌倉仏教も、いずれも心身を調えて、野生のエネルギーを受け入れ、そのエネルギーを発動する。そういう巨大な自然の、野生の力を人間が受け入れていって、それを発動できるだけの強度と精度を備えた心身を調える。自己陶冶や修行というのは、そういう負荷に耐えられる心身を作り上げるためのプログラムです。それによって日本固有の文化ができた。
自分自身武道や能楽の稽古をして感じるのは、本当に日本的なものというのは、自己実現とか自己主張とか主体性の確立とか、そういうものではなく、自分の心身を調えて巨大な力の通り道に、良導体に仕上げてゆく。自分の中にある「詰まり」や「こわばり」や「ゆるみ」や「ずれ」を消して、無駄な抵抗に遭遇することなしに、巨大な外部の力が通過できるように整備すること。超越的なものに自分の心身を捧げる。それが日本固有の宗教性であり、武道的な強さであり、美的な達成である。我を消して、相対的な優劣勝敗強弱へのこだわりを棄てて、「天地未分陰陽不到の処に徹する」というのが日本的な修行の目的です。
こういう発想は世界的に見ても珍しい、日本独特のものだと思います。現に、武道も能楽も鎌倉仏教も、それに類するものを他文化の中に見出し難い。僕は合気道を稽古していますが、合気道の修行者は世界中に百万単位で存在しています。ただの身体的訓練法や格闘術でしたら、類するものはどこの国にもあります。でも「野生のエネルギーを受け入れられる良導体としての自分の心身を調える」という発想に基づいて体系化された武道に類する身体技法は欧米ではまず見ることがありません。
能楽もそうです。アジア各地に憑依系の仮面劇はあります。たぶん発生的にはそれが日本列島にも伝播してきて能楽の起源の一つになったのだろうとは思いますけれど、能楽では超越的なエネルギー複式夢幻能というソリッドな劇構成と、精緻に構成された能舞台という「調えられた空間」を通過して、制御されることによって美的なものに変換されて、鑑賞される。
原理的にはどれも同一の構造を持っています。それが鎌倉時代にシステムとして完成した。それがどれも「大地の霊」との交流の経験を根に持っている。農業の経験が日本固有の文化の形成に深く与っていたということは確かだろうと思います。
投稿者 noublog : 2020年03月05日 TweetList
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