29歳女子が牧場を開設 幸せな乳牛と生きる「山地酪農」とは? |
メイン
2018年11月20日
新しい新規就農モデル 規格外のスケールで復興に励む町のエース
福島県との県境にあり、町全体が沿岸に面している宮城県山元町。東日本大震災を経て復興を進めるこの町に、脱サラをして山元町へ移住し、大きな注目を集めている青年がいます。その人の名は内藤靖人(ないとう・やすひと)さん。
聞き馴染みのない「マコモダケ」を栽培し、就農5年目にして初年度の10倍以上の土地を借り、町の新規就農モデルとして奮闘しています。
今日は、内藤さんにお話を伺いました。
◆震災ボランティアをきっかけに脱サラ移住
内藤さんが農業を始めたきっかけは、震災ボランティアで山元町を訪れた時のこと。当時は埼玉県の会社に勤めていましたが、山元町の人口流出を目の当たりにし、復興のために若い力が必要だと感じて移住を決意したそうです。津波で浸水した沿岸部には、未だ手つかずの農地が多くありました。ボランティア活動を通じて町の人々との交流があった内藤さんは、スムーズに農地を借りることが出来ましたが、問題はその土でした。固く砂のような土は、とても作物を育てられるような状態ではなかったといいます。
「近くの牛舎から牛糞堆肥を分けてもらうことにしました。自分でダンプカーを借りて運び、畑に混ぜて土を作るところから始めなければなりませんでした」。土作りが出来ても苦労は続きます。最初は、ニンニク、カボチャ、キャベツ、ニンジンの栽培から始めたそうですが、雑草の管理や水やりなど、毎日やらなければいけないことが多く、雑草を取りきれずに近所の方に注意されたこともあったそうです。一人で複数の野菜を作り続けることに限界を感じていた時、知り合いの方が薦めてくれたのが、マコモダケでした。
◆マコモダケは新規就農者向き?!
マコモダケはイネ科の多年草で、田んぼで栽培されます。知名度も生産量も少ない作物ですが、稲作が盛んだった山元町には休耕田が多く、マコモダケの栽培には適していました。早速、休耕田を借りてマコモダケの栽培を始めると、野菜の栽培との違いを実感したと言います。
「水切れをさせないように注意をする必要はありますが、基本的には植え付けの時と収獲の時に手をかけることが大切な作物です。収穫後は株の地上部が枯れて、翌年新しい芽が出ます。毎日管理をしなければならない野菜と比べて、労働時間は少ないですね」。珍しいマコモダケは話題性もありました。仙台市の直売所やレストランに卸すと、メディアの取材も増えてくるようになったそうです。「マコモダケを山元町のブランド野菜として定着させていきたいですね」。今は東京のファーマーズマーケットに出展するなど、マコモダケの販売に力を入れています。
◆日系アメリカ人らの支援団体から20万ドル(1800万円)の資金援助
山元町を復興させたいという内藤さんの想いは、多くの人を動かし始めています。山元町役場は昨年、複数の地権者が保有している空き地を農地として活用するため、町が地権者を取りまとめ、借り手を募集しました。そこに内藤さんが手を挙げ、およそ16500坪の土地を活用できるようになりました。現在は、事業計画の実現に向けて、町の農政班と相談をしながら進めているそうです。
更にこうした内藤さんの活動は国境を越えて伝わり、日系アメリカ人らの支援団体から20万ドルの資金援助の話が舞い込んできました。一気に土地と資金の話が進んだ今、事業の実現にむけて“仲間”の必要性を感じているそうです。「作物の栽培もそうですが、一人で出来ることには限界があります。大きなことをしたいと思うと、やはり仲間が欲しいですね」。最近では農業に興味を持つ大学生ともネットワークを広げています。「農業が出来る人だけでなく、僕のアイデアを一緒に実現してくれる人や、行動に起こしてくれる人……色んな力が必要だと感じています」
そんな内藤さんに、今後の目標を聞いてみました。「山元町をもっと発信して、移住者を増やしたいです。そのためには僕が農業で成功し、新規就農者でも農業が出来ることを証明しなければいけない。プレッシャーもありますが、やるしかないです!」。震災ボランティア時代から一切ブレない内藤さんの目標は、人々の心を動かし、いま大きな力となって実現に向かっています。
以上転載終了
内藤ファームHPより
~内藤さんが農業にかける理念が紹介されています。
☆内藤さんの理念
1.人も町も社会も元気にする農業
私たちはここ宮城県山元町で元気になる野菜を作ることで、町の方はもちろん、全国のお客様により豊かな生活を送っていただく一助になれればと考えています。『人が元気であればその人のいる町も社会も元気になっていく』
この発想は東日本大震災後の山元町で生活している中で生まれました。大きな災害から立ち直り徐々に元気になっていく人々と、それに準じて町全体で復活し活発になっていくお祭りや市民活動。元気があればなんでもできる。元気があれば災害から立ち直り前に進むこともできる。元気があれば。それならば私たちは元気をお客様に提供できる存在になりたい。そう考えて事業を進めていきます。
2.農業の担う役割・チカラを大切にする
農業はその町の特徴を表すものといえます。農産物はその町の土、水、空気、気候、人の成果物です。おいしい野菜、健康になれる野菜、美しい野菜、珍しい野菜、作り方が楽しい野菜。私たちはそういった特色のある野菜を生産し提供することで山元町のPRをしながらお客様にも楽しんでいただき、ひいては元気になるきっかけを提供したいと考えています。
3.人の集まる農園
農業は今現在の日本国内では就労者数が減少の一途を辿る中、高齢化の進行、担い手不足、耕作放棄地の増加等様々な課題を抱えています。それに伴い農村地域と呼ばれる市町村でも同様の課題を抱えています。このことは発想を変えれば若者が農業を始めやすいタイミングであると捉えることができ、また就農希望者を農村地域が受け入れる好機でもあると考えました。
◆まとめ
内藤さんは、震災のボランティアで、なんとか山元町の人達を元気にしたいということがきっかけで農業を始めました。震災が原因で、若い人が流出していく地域にあって、地域の期待と彼の思いがかみ合い、今や16,500坪の土地を活用できるようになります。
内藤さんの内なる思いは、農業で成功し自分に続く就農者を増やすこと。であり、山元町に活気づいてほしいこと。です。当初の彼の思いが、ますます、活気をもって力強く達成されていくことを期待して・・・
農業をとおして地域活性化の成功事例として、これからの「内藤ファーム」に注目です。
投稿者 noublog : 2018年11月20日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.new-agriculture.com/blog/2018/11/3918.html/trackback