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2018年10月16日
29歳女子が牧場を開設 幸せな乳牛と生きる「山地酪農」とは?
今日は,前回に引き続き、人と動物が共存し豊かに生きていくというお話です。今回紹介するのは、、2016年秋に山北町の大野山に開牧した「薫る野牧場」
牧場主は、平成元年生まれの29歳の島崎薫(しまざき・かおる)さん。彼女は、東京農業大学生物産業学部食品学科を卒業し、東京農大在学中に出会った、牛を自然放牧しながら山間部の環境を整える「山地酪農」を実践する岩手県岩泉町の中洞(なかほら)牧場で働いた後、2016年秋に地元の神奈川へ移住しました。そして、放置されていく山の活用法として、牛を牛らしく飼う方法として、山地酪農を広めています。 標高約700メートルの山頂付近で、彼女が実践する「幸せな酪農」とは―?
■牛と「強い山」をつくる──山地酪農とは?
晴れた日には、富士山と相模湾が一望できる大野山。その山頂付近で島崎さんはこの夏、「薫る野牧場」を開設し、5頭のジャージー牛とともに山地酪農をスタートさせました。見晴らしの美しい牧場で、山地酪農を志したきっかけや、今後の夢について教えてもらいました。
―山地酪農の特徴を教えてください。
山地酪農の牧場に牛舎はなく、搾乳のための小屋だけがあります。牛たちは自由に山を歩き回って、地面を踏み固め、下草をはみます。すると、そこには地中10~20センチまで根を伸ばす強い野芝が生え、大雨や台風でも土砂崩れを起こしにくい山ができる、という好循環を生み出す酪農です。
草の色素が影響するため、山地酪農で取れる牛乳は、黄みがかった色をしています。一頭あたり、一日で5~10リットルしか取れません。今年の夏は暑かったので乳量が減るなど、牛の体調にも左右されます。ホルスタインなどの乳牛は50~70リットルを出すので、それに比べるとかなり少ないといえます。
山地酪農で牛1~2頭あたりに必要とされる草の量は、約1ヘクタール分です。現在は、5頭の乳牛が8.8ヘクタールの牧場で暮らしていますが、少しずつ増やしていければと思っています。
■ハレの日に師匠から激励「ずしっと」
―なぜ、山地酪農の経営を志したのでしょうか?
昔から食べることが好きで、特に、陸上部の活動に励んでいた中学生時代から、体づくりのために飲んでいた牛乳が大好きでした。北海道にある東京農業大学オホーツクキャンパスで食品科学を勉強し、将来は乳業メーカーに就職したいと考えていました。そんな中、山地酪農で牛たちを育んでいる岩手県の中洞(なかほら)牧場の牧場長・中洞正(なかほら・ただし)さんの著書に出合いました。牛たちがストレスなく幸せに過ごし、約20年の寿命を全うする。人間は彼女たちから無理のない範囲でお乳を分けてもらう――。本を読んで、そんな山地酪農のあり方に感銘を受けました。
生産効率を重視した現代酪農に疑問を抱いていたこともあり、大学の冬休みを使って中洞牧場で1週間の研修をさせてもらいました。いつかは山地酪農の牧場を、自分でも開きたいという思いが膨らみ、卒業後は主に製造担当として中洞牧場で4年半の間働きました。
―どうして山北町に牧場を開くことになったのでしょうか?
相模原市出身なので、「独立するなら地元の神奈川で」という気持ちはずっとありました。以前ここは県営の牧場だったそうで、廃止後の跡地活用について、地域の方が中洞さんに相談にいらっしゃったんです。それが縁となり、牧場を退職して2016年に山北へ移住しました。住民の方で作る特別地方公共団体の「財産区」から土地をお借りする形なので、手続きや地域の方向けの説明会開催など準備を重ね、今年6月に開牧式を執り行いました。
式には中洞さんも駆け付けてくれて、「転んだら起きろ。俺の背中を見てしっかり進め」という言葉を下さいました。本人からそう言っていただけて、ずしっときました。
5頭の牛たちは、中洞牧場からやってきました。最年長の「たらちゃん」は、私が中洞牧場に入った時には3、4カ月の子牛でした。実は私も長年のあだ名が「たらちゃん」だったので(笑)、とても思い入れがある子です。今では、他の牛たちを引っ張ってくれる頼もしいリーダーです。
■「“山を変える”山地酪農を知って」
―山北町で暮らしてみての感想は、いかがですか?
「若い世代が頑張ってるから」と、協力してくださる方がたくさんいます。補助的に牛へ与える米ぬかは、町のお米屋さんが下さったものです。牧場を手伝ってくれる、地域の同世代の若者たちも心強い存在です。山北駅前の「やまきたさくらカフェ」では、うちの生乳を使ったソフトクリームを出してもらっています。
せっかく山北に来たのだからと、この地域の杉(間伐材)を使って搾乳小屋を建てました。外国産の方が安いのですが、地元の木材にこだわっています。
私は牧場を持つだけではなく、「牛と一緒に山づくりをしたい」と考えています。最近、日本の林業衰退に伴い、荒れてしまう山が増えていますが、そういう山を変える手段として山地酪農があるということを多くの人に知ってもらいたいです。
―農業への思いや、今後の意気込みを教えてください。
食べ物をつくるという仕事は、とても大切でやらなくてはならないもの。特に、酪農は大変だとよく言われますが、私のような年齢の女でもやれるということを証明したいです。「自分も山地酪農をやってみたい」という人が出てきてくれたらうれしいですね。これからが挑戦ですが、下の世代にも「農業っていいな」と思ってもらえるように頑張りたいと思います。
現在は、ソフトクリームやジェラートなどの原料としてのみ、牛乳を販売しています。町内では「やまきた さくらカフェ」だけで、薫る野牧場の生乳を使ったソフトクリームが楽しめます。県外からわざわざ食べに来る人も多いという人気メニューです。
今月オープンした「Collina KAMAKURA GELATO」(鎌倉市)には、ジェラートの原料として提供しています。また、今月からは完全予約制(HP経由)で月に数日のみ、牧場見学を受け入れる試みを始めました。※詳細は、ホームページで。少しずつ、着実に、牛と共に歩みを進める島崎さんから、今後も目が離せません。
以上転載終了
■最後に
「山地酪農」は、、全て自然のままの酪農です、牛は、“本来行動”の維持。広い山に一年じゅう昼も夜も放牧し、食事・睡眠・排泄はもちろんのこと、交配・分娩・哺育までを全部ウシまかせ。オマケに毎日の山の上り下りで足腰も丈夫。健康そのもので、ほとんど病気にかからない。
酪農業界において経済効率優先で大規模化が推進されている中、まさに自然をありのまま受けいれ、牛と共に山林で人が暮らしていけること。人間が人間らしい生き方ができること。そして、子どもや孫、その先の世代もずっと続けていけることを彼女は目標として、この酪農を始めました。そして、彼女の夢は、山地酪農のように、日本の国土の3分の2を占める山林をより有効に活用していける持続可能な産業が増えていく事です。
一方で、彼女の廻りには、地元の人達が応援・協力してくれています。後継者不足が深刻な酪農や林業の現場において、彼女の存在は、地元の誇りであり、光であるからに違いありません。
安心安全な乳の生産と山林の管理を両立できる産業としての事の始まり、今後も地元に密着した「山地酪農」に注目していきたいと思います。
投稿者 noublog : 2018年10月16日 TweetList
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