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2016年05月05日

コミュニティビジネスがひらく、新たな「農」の可能性~机上の研究の限界を知り、新たな発想を得る

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地元の農業をなんとかしたい。そんな想いを胸に、西辻氏は大学で農学部を専攻します。

いったんは研究者としての道を選んだ彼でしたが、それは彼にとって「机上の研究では現実を変えられない」という事実を知るとともに、新たな発想を得る機会になったようです。

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■研究生活への疑問

大学ではダイズの品種改良の研究に取り組んだ。ダイズだけでなく、モモやカキ、イネなど、あらゆる作物を育てた。このころの経験は、マイファームにおける野菜作りの指導などにとても役立っている。

研究のなかで一定の成果も上がった。サポニンという、ガンやエイズの治療に効果があるといわれている物質が通常よりもはるかに多く含まれるダイズができたのだ。

しかしさらに研究を進めていくと、この品種は長野県のある地域、つまりごく限られた気候条件を持つ場所でしか育てられないということがわかってきた。しかもこの品種を世に出すには、登録の手続きを経なければならない。新たな品種ができたといっても、それが社会で実用化されるまでの道のりはとても長い。自分が生きている間に叶うかどうかも怪しいほどなのだ。次第に研究を続けていくことへの疑問がわき始めた。

もともとあった問題意識は、すでに述べたように、福井の農業をなんとかしたいというものである。そのために農家の人たちが儲かるような技術を開発したかったはずなのに、これでは農家の現場からあまりにも遠いのではないかと思い、悩んでいた。

そんななか、私に新たな価値観がもたらされた。大学の授業で、世界の食料に関するあるレポートを読んだ時のことである。そこには次のような内容が書いてあった。

 

①世界の人口は増加の一途を辿り、今後もその勢いが衰えることはない。

②そのため、食料危機に陥らぬよう食料を増やすことが必須だ。

③しかし、食料を生産する人の数は減少している。

④よって、生産性・効率性を上げるために品種改良をしていかなければならない。

 

以上のことから品種改良が重要であるという結論だったのだが、これを読んで私は「過度な品種改良技術は本当に必要なのか」という疑問を抱いた。むしろ重要なのは、③の項目にある食料を生産する人の減少をなんとかすることではないだろうか。つまり生産性の高い作物の開発ではなく、作物を生産する人作りが先決ではないのか。

これは自分のなかで、パラダイムシフトが起こった瞬間だった。それまで農業とは農作物そのものを作ることだとばかり考えていたが、それだけでは日本の農業の未来は開けてこないのではないか。

ちょうどそのころ、世間ではいわゆるロハスブームが到来していた。「ロハス」というのは健康的で持続可能なライフスタイルのことである。都会の人たちの間で、週末に人里離れた場所で自然に触れるような生き方に対する憧れが生まれていた。

そこであるアイデアが舞い降りたのだ。耕作放棄地を、そういう人たちが農を楽しむ場にすればいいのではないか。野菜を作ることではなく、農を楽しむ人々を生み出す「仕組み」を作ることで、日本の農の現状が変わるのではないかと考えた。

こういった取り組みは、そのころはまだなかった。原因は「農地法」という法律にある。これは、食料生産の場である農地が無断で宅地など別の用途に転用されて食料自給に影響を及ぼすようなことがないようにするための法律で、ここで「農地はその耕作者みずからが所有することがもっとも適当である」と定められている。つまり、別の人に農地を貸して使ってもらうことができなということだ。2009年に農地法が改正されるまで、農地を借りてビジネスをするということは非常に難しく、遊休地は遊休地のまま放置されるしかなかったというわけだ。

なんとか法に抵触しない形でビジネスを成立させる方法はないだろうか。大学図書館に通って農地法に関する本を読み漁り徹底的に調べ上げた結果、一つの方法が見出された。土地の所有者が農地を貸すのではなく、所有者が農業経営の一環として利用者に農作業を体験してもらうというやり方だ。これは「農園利用方式」と呼ばれており、法律の壁もクリアできる。そして集客や集金、農地の管理など、運営のもろもろな面倒を引き受けるサービスを行う会社を作ればいいと考えた。

 

 

投稿者 noublog : 2016年05月05日 List   

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