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2016年04月27日

コミュニティビジネスがひらく、新たな「農」の可能性~荒れ果てた田畑の光景から芽生えた志

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前回に引き続き、マイファームの創業者である西辻一真氏の生い立ちをご紹介しながら、同社が目指す事業の方向性に迫っていきます。

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■田畑の放置は、自然への感謝を欠いた行為

農に関わる仕事をしている今の自分につながる道を歩み始めたのは、高校生のころになる。

私の通っていた藤島高校は、福井市内にある県立高校だ。家から学校まで、福井平野を南下するその途中、目に映るのはススキやセイタカアワダチソウといった背丈の高い雑草が生い茂り、荒れ放題になった田んぼや畑だった。しかもそういった土地は、あちこちで増えているように感じられた。

それは、とても不思議な気持ちにさせられる光景だった。

畑は、小さいころに野菜作りの楽しさを教えてくれた、すてきな時間を生み出すことのできる場所であるはずだ。それが使われることなく放置されているのを見るのは、私にとって、とてもやりきれない気持ちになるものだった。

耕作地であるということは、食料を得るために、本来自然であった場所を借りて、人がそこを開墾したということである。かつては誰かが耕していた場所が、今の人には耕せないということなのか?自分の土地でもないのに「負けた」ような感じがして、くやしさを覚えた。そしてそれらの田畑がなぜ使われないのか疑問に思いながら、私は毎日その近道である土地を横切って学校に通っていた。

背景には、食糧管理法が廃止されて食糧法に切り替わったことや、減反政策が強化されたことがある。減反政策とは、コメの価格調整のために政府がコメの生産量を制限する政策である。もしコメがあちこちで作られ生産量が増えすぎると、価格競争が激しくなり、値崩れしてしまう。それを防ぐために政府は田んぼでコメ作りをする代わりにダイズやムギなどを作る「転作」を推奨したというわけだ。しかし、コメ以外の作物を大量生産するノウハウを持たない人たちは、採算がとれないという理由でそのまま田んぼを放置せざるを得なくなった。

学校の先生に質問したり、自分でもいろいろと調べてみたりして、こうした背景を知った。人が生きていくためには食べ物が必要で、その食べ物を作るためには農業が不可欠だ。なのに農業のための土地をあえて使わず放置するという選択は、おかしいと直感的に感じた。これでは土地を開墾した先人と、何より自然への感謝を欠いている。なんとか農家の人たちが儲かって、生計を立ててやっていけるようにはできないものだろうか。

疑問を母にぶつけ、いろいろと話し合うなかで、バイオテクノロジーの研究をするという道がみえてきた。将来、福井の地域おこしにつながるような新しい野菜を作ることができたらおもしろい。そう考えて、大学は農学部に進むことにした。

投稿者 noublog : 2016年04月27日 List   

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