最先端の意識潮流に応える農業体験事業とは? 3.体験の歴史の背後にある、意識潮流との照らし合わせ |
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2012年11月20日
農から始まる地域の再生~新しい生産集合体をどうつくるか?11.女性の活躍は業態革命の鍵となるか?!
プロローグでも紹介しましたが、ここ10年で女性の起業数は1.4倍にも膨らんでいます。グループ活動による経営が6割、個人経営が4割となっています。
活動内容(複数回答)は、食品加工が7割、直売所の販売・流通が6割と最も多く、1人当たり年収10万円未満が36%、10~30万円が30%、経営体でも売上300万円にも満たない集団が、細々と生きがいや楽しみ、地域貢献したいという意識で取り組んでいるようです。
また、国が定める「男女共同参画基本計画」において、あらゆる分野で指導的地位にある女性の割合を平成32年までに少なくとも30%程度とする目標が設定されているようですが、起業する女性も含めて、役員や委員等になって地域や集団の方針を決定する場に参画したいと思っている女性は3割もいないようです。
何か、今、女性が注目されている現状と、リーダー像を求める施策とはミスマッチのような気がします。一体、女性は何を求めていて、何を期待していったら良いのでしょうか?
これから、2回に分けて、地域或いは集団において、“女性をどのように活かしていったら良いのか”を考えていきたいと思います
1.農村ではもともと女性が労働の主役だった
戦前のデータはありませんが、昭和35年頃の農業従事者数を見ると、58.8%と、全体の6割、現在は49.9%と5割を切っています。もともと、農業が盛んだった昔ほど、女性の農業従事者は多かったようです。
歴史を遡ると、地球が温暖化し、森林が拡大していく時期(前12,700年頃)になると、狩猟だけで食糧を確保することが困難になり、木の実の採種や貯蔵、いわゆる加工はもっぱら女性の役割でした。リンク
また、アジアや日本など、農耕を中心とした共同体社会が根強く残っていた頃の女性の役割について、るいネット「日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理」でも紹介されていますが、
闘争存在である男性は、闘争課題があるとがんばるものの、闘争圧力がなくなると途端に「怠ける」ということ。外圧依存型の闘争性や勤勉性はもっているものの、何もない時には怠けがちなのがオスという生物なのでしょう。
一方、女性は外圧が高い場合は当然のこと、外圧が低い状態でも勤勉さを失わない。東南アジアの事例は、男性の怠け者ぶりが顕著であるため、女性の働き者ぶりが相対的に際立っているだけとみなせます。メスは基本的に勤勉な生物なのでしょう。
と、紹介されています。従って、都市化が急速に進む昭和35年頃までの日本の農村共同体では、生産の主力は女性だった、と言っても過言ではないほど、女性が活躍していたと思われます。その理由について、先の引用の続きです。
子育て、炊事、掃除、縫い物・・・身近な周りの充足のために日夜勤勉に働くのが女性=お母さんの姿だったりします。どんな家でも女性=お母さんの勤勉さがなければ、日常的な充足・安定は維持できません。
これを逆に見れば、女性は身近な皆の充足・安定のために働いてくれているということです。自分の勤勉さが、皆の充足・安定につながるとわかるうえ、主体的に動いていけば、皆の充足・安定を高める課題(期待)は無数にかつ常に存在します。したがって、永続的に勤勉さが持続するということでしょう。
2.女性が役割を失ったのは、共同体が崩壊したから
さて、ではいつ頃から、どのような理由で女性の活躍する場が減っていったのでしょうか?
戦後、都市化が進み、工業生産化が進むと、資本力が第一、生産の現場では効率化が第一となり、元々女性が持っていた、手の器用さや勤勉さ、身の回りの課題を担う能力は後回しにされ、家電製品の普及などもあって、全て工業化の中で見捨てられていきました。
さらに、共同体が崩壊し、核家族化が進むと、集団内における皆の為にという充足役割は失われ、その様子は、映画化され135万部も売れた『性生活の知恵』 謝 国権 著 リンクにも書かれている。以下、引用
1960年は、まだわが国の高度成長が始まる前で、工業社会の倫理が完全には確立していなかった。封建社会は親の敵といわれたが、実は女性の地位低下は工業社会の方が激しい。
女性は生産労働から外され、子供を生む動物的な位置へと下げられ、社会的には男性より下位の存在へと下げられてしまった。
一般に封建制は悪なるものと理解されがちだが、実際、農村では封建制が残る戦前までの方が、農民という身分は社会から与えられた役割で、その役割を全うすることが集団の安定にもつながり、女性達も集団内の役割を全うできたのである。寧ろ、専業主婦化が進む’70以降の方が遥かに女性の地位低下が大きかったという事である。
これは、都市だけの問題ではない。工業化が進むと、兼業農家化も進み、農村の家庭内でも家電が普及し、現在では団塊以降の女性は農村にいても、ほとんど農作業を行わない、村の行事にも参加しない、稼ぎは男で、ほぼ専業主婦化がすすんでいったのです。
3.業態革命の背後にある期待と女性の役割
しかし、’70豊かさの実現、’00私権が消滅すると、これまで男性中心だった大企業を頂点とした私権企業は一気に衰退過程に入ってくる。農村では、’94GATTウルグアイラウンド協定における輸入米の影響もあり、米価が一気に下落し、これまで農協中心の流通市場が崩壊していきます。
大量生産・大量消費の市場社会は、農業分野においても女性の出る幕は全くなかったが、既存の流通市場が崩壊してくると、それを通さない直売が女性を中心に1985年頃から各地で盛んになってきます。
細々ながら、自分たちが作った農産物が、対面の場でお客さんに喜ばれる。これは、かつて、集団内にあった、集団の皆の為に農産物をつくり、みんなで味わい収穫の喜びを分かち合うことの充足に代わる、彼女らのささやかな活動でした。
これらが発展して、今、全国の直売所や、飲食店など、女性自身が自らの手で加工所を立ち上げ販売したり、自分たちの地域で昔から食べてきた郷土料理を一般の人に振る舞ったり、或いは、販売活動を通して対面充足を得られる場に積極的に参加するなど、女性の活躍に繋がってきたのです。
今、各地の加工場や直売所では女性の活躍無しに経営が成り立たないほど、その役割に期待するものは大きい。
おそらく歴史的に、共認充足が充分に得られていた時代、要するに私権時代以前の時代は、自然と一体であった。共認充足とこの自然志向は一体化する構造にある。さらに言えば、共認充足の最遠点には、実はかつての自給自足という自給志向とも密接に繋がっていると思われる。
従って、歴史的な体験記憶と繋がっているとすれば、共認充足は認識面においては当然、自分たちで考えていく、自分たちでつくっていく、という方向に繋がっていく。リンク
元々、人類は、共認機能を唯一の武器として、知能を発達させ、過酷な自然圧力・外的圧力に対応して、生きてきました。言い換えれば、人類が生きていく上での最大限の活力は共認充足を得ることです。従って、私権が衰弱すると、私権の強制圧力から最も遠い位置にあった女性だからこそ、私権から共認へという時代の転換期を敏感に感じ取れるのだと思います。言い換えれば、本源的なもの、いわゆるかつての集団内にあった共認充足こそ大衆が潜在的にもとめているものだと感じとり、それに答える新しい業態を自分達でつくりあげてきたのではないでしょうか
さて、次回は、具体的な女性を中心とした新しい農業の業態に着目し、紹介していきたいと思います。
投稿者 staff : 2012年11月20日 TweetList
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