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新しい「農」への途(2-1)――「可能性発」の農業とは――

これまで9回に渡って連載してきた「戦後農政の超克」シリーズでは、現在の日本農業の姿を生み出した農業政策を整理してきました。
ここでシリーズ開始時点の構想を再掲載します

(1)寄生地主の土地を農民にバラ撒いた「農地改革」は、農地の私有意識を生み、
(2)共同体的な集団による生産様式が家族単位へと分解され、
(3)家族経営ゆえに農業資材や技術や経営も外部(=農協)に依存したことで、農民は部分労働者と化し、
(4)自給自足の途を閉ざして給与を他に求める兼業へと向かい、
(5)農地転用による一攫千金狙いで農地を抱え込むことで、地域ぐるみの営農集団再生も、新たな営農希望者への農地貸与もままならず、「農」の可能性は閉塞しましたが、
(6)豊かさが実現し、縮小経済へと移項したことが、農地の流動性を高めることとなり、
新たな社会需要を包摂した「新しい『農』のかたち」が期待されます。

ここからは、これまで追求してきた事実に基づき、これからの農業のあり方を模索し、提示していきます。【新しい「農」のかたち】というブログの名前通りですね
というわけで、「可能性」に向かうシリーズ最初の投稿は、『実現の場を作る』という軸で展開します。
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■農業に対する意識は「不全発」から「可能性発」へ
新しい「農」への途(1)   農地の私有化による私権意識の芽生え [1]
新しい「農」への途(1-2) 農地改革は、日本側の自発的な意思で着手された [2]
新しい「農」への途(1-3) 農地解放が農村共同体の崩壊をもたらした [3]
新しい「農」への途(1-4) 大地主の解体が農地改革の目的だった [4]
これらのシリーズでは、「農地改革(解放)」が戦後農政における最大のターニングポイントだったとして、追求が行われてきました。
農地改革による最大の変化は、「小作人が農地を得て自作農となった」ということです。
そこに至る背景には、自由と権利の獲得や、抑圧からの解放を目的とする社会運動の空気がありました。「貧困」「被支配」という『不全』発の運動だったとも言えます。
ただ、農地改革によって念願の農地を手に入れた農業者達は、「私有」意識が強くなり、それまでの共有ベースの「共同体」の崩壊が始まります。
そしてそのまま「自分の土地をどうするかは持ち主の勝手」という論理に行き着き、バブル期の農地売却の多発や、近年の耕作放棄地の増加に繋がっていきます。
つまり、不全発の運動で農地改革は実現し、農業界は大きく変化を遂げましたが、それは結局「私益追求」型の農業になってしまったのです。
この私益追求の根本には「儲かるか否か」という価値観があるため、実際に儲からない農業は衰退の一途を辿ってきました。
しかし、1970年代に「貧困の消滅」に至った頃から、人々の意識が潜在的に変わりつつあります。物的生産が一定の飽和に達したため、人々は精神的豊かさを求め始めたのです。
精神的豊かさが何によってもたらされるか?それは「人と人とのやり取り」です。日本に古くから存在した農村共同体にはやり取りが溢れていたため、改めて農業に目を向ける人が増えてきました。
近年、農業に対する関心が高まっているという話をよく聞きますが、それは決して「食糧生産業」としてのみ農業を見ているのではなく、「人々のやり取りがある充足の場」という本源的な要素に惹かれているからです。
つまり、貧困の消滅によって、人々の意識は「私益追求」から「本源追求」に変わり、農業に向かう流れも「生きていくためにやるしかない」という「不全発」から「本当に体に良い食べ物を作りたい」「みんなとやり取りをしたい」という「可能性発」になったのです。

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(画像は類農園 [6]より)

■みんなで「場」を作ることが必要
実際、この潮流に沿って農業に可能性を感じて取り組もうとする人は増えています。しかし、現実に上手くいっている事例は少ない・・・。それは何故か?
理由は、『可能性を実現できる「場」が無い』からです。
「農業をやりたい!」という人にとって、現行の制度は参入のハードルを上げるばかりでなく、参入後の経営の支障になることすらあります。
正確に言えば、政府などの「お上」発の補助制度や箱物設立は行われています。ただ、その実情を聞くと、あまり上手くいっているとは言いがたい様子。
これは、制度や考え方が「不全発」の時代から変わっていないからです。昔は「~が問題だから・・・をあげれば良い」という考え方でなんとかなっていました。例えば、「収入が少ない⇒補助金」のような考え方です。
しかし、人々の意識潮流が「可能性発」になった今、「与える」という行為が活力を下げる結果になることだってあるのです。「言うこと聞いてお金もらっておいた方がいいや」「頑張らなくても農協が買ってくれるし」というような状態では、本当に日本農業を変えていけるような活力は出にくいのです。
ここで意識の転換が必要です。『自分達の生きる場は自分達で作っていく』という状態の時、人々は最大の活力を発揮します。この当事者意識を「みんな」が共有することで、実際に現実を変えていくエネルギーが生まれるのです。まさに今、農業をやりたいと思っている人達の多くが「人とのやり取り」を求めています。その欠乏と「可能性発」の潮流が合流して、「こうすれば上手くいく」「もっとこうした方が良いのではないか?」という意見が出され、それらが統合されて『答え』となることで、その実現イメージに向かう前進力も沸いてくるのです みんな共に認める答えを紡ぎだす、という意味で、これを『共認形成の場』と呼びます。
この「共認形成の場」ができ、実現の可能性が開かれることで、本当に農業をやりたいという人々を受け入れることができるようになるでしょう。本当の「実現の場」とは、誰かが用意するものではなく、みんなで作り上げるものなのです。
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(画像は類農園 [6]より)

■まとめ
このように、可能性発で農業に向かう人が増えている中、それを受け止める「場」を形成することは必須です。ただし、その「場」は与えられるものではなく、みんなの「必要なものを自分達で作っていく、支えていく」という想いによって築かれていくものです。
そして、その中心軸になるのは『共認』
農業においても、「事実がどうなっていて」「これからどうすれば良いか」を追求し、統合して実現していくことが必要とされているのです。
これまで追求してきた「農地制度」「減反制度」「補助金制度」「農協」などの問題も、不全発の時代にできたものを引きずっている状態です。可能性発という新たな価値観に基づいて農業が求められる今、『それらの制度は必要か否か?』を改めて問い直すことが必要です。
現実の農業界を規定しているのは制度ですが、人々の意識と制度がずれているのなら、意識に合った制度に変えなければなりません。これは新しい農のかたちを描く上で避けて通れないものでしょう。
ということで、次回では最近話題の「事業仕分け」に習って、農水省が実施する「補助事業」を考察し、「どうすれば良いか」を紡ぎだしていきます。お楽しみに

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