新しい「農」への途(1-3) [1]の続きです。
前回1970年まで話が進んだのですが、戦後の農政を追求する上でどうしても放っておけない問題が表出したため、少し時間を戻して今回扱いたいと思います。
それは、今の日本農業の問題とされている「農地の細分化は日本政府が望んだ結果だった」という論点です。
前々回の投稿 [2]で、「農地改革がいち早く実現されたのは、日本側の自発的な意思として着手されたから、と云われます。」と書かれています。第二次大戦直後の政策は全部GHQの指示で行われた、と思っている方は少なくないのですが、この「農地解放」に関しては、日本政府発だったようです。
ということは、「農地解放の機運は戦前から存在していた」と見るのが妥当です。
そして、その理由は「大地主」というキーワードに集約されていきます。
以下、その歴史的構造を明らかにしていきます。
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1.農村部における貨幣経済の浸透と大地主の誕生
「農地解放」の根本原因は、明治政府が誕生した頃にまで遡ります。
明治政府の行った代表的な政策として、『地租改正』 [3]がありますが、そこで農村部にもたらされた大きな変化は、
a.年貢でなく現金で税を納めるようになった。
b.農地の「所有権」が発生した。の2つです。
まずaによって、農産物を換金してから税として納めることになりました。それまでは農産物そのものが税となっていましたが、明治政府によって貨幣を介在することが義務付けられたのです。
bは、「納める税金を計算するため」に「誰がどの農地を持っているか確定する必要があった」から発生したものです。それまでは、『村』として農地を共同保有していたものが、税制の変化によって個人による「私有」に変わったのです。
とはいえ、突然農地だけ与えられても、能力には個人差があります。結局、より能力のある者、あるいは経済力の豊かな者の所に農地は集約され、ここに『大地主』が登場します。
2.戦争景気による「現金で食料を買う」というスタイルの拡大
19世紀末から20世紀初頭にかけて、日清・日露・第一次世界大戦など、大規模な戦争が立て続けに起こりました。日本はこれらの戦争において戦勝国となり、同時に重化学工業が大きく発展したのです。
ここで農村から都市への人口移動が本格的に始まりました。、都市住民は自ら食料を生産しないため、必然的に『お金を稼いで食料を買う』という生活様式が主流になったのです。これは大きなターニングポイントです。
同時に、富国強兵の観点から、政府にとって食糧増産は大きな課題でした。そこで「耕地整理法」(1899)を制定し、国内農地の大規模な区画整理が始まりました。要は食糧増産に都合の良い形に農地を整理したのです。
当然、農地所有者によっては不満のでる結果になることもあったため、反対意見も多数でました。そこで、政府は「大地主の意見が全て」と言っても過言ではないほどの権限を与え、大地主を通して間接的に農地をコントロールできる体制にしたのです。これによって耕地整理事業は円滑に進み、1917年までに46万haもの農地が区画整理されました。
ここでのポイントは、『国家が大地主と組んだことで、大地主の権力が肥大した』ということです。
3.食糧相場の変動によるインフレと暴動
「お金で食料を買う」ということは、「お金がないと食料が買えない」社会になったということを意味します。第一次大戦直後はまだ景気が良かったのですが、戦争景気はすぐに縮小してしまい、その後に起こった「世界恐慌」(1929)でドン底にまで落ちてしまいます。
ここで、収入が激減して、満足に食料を買うことができない人々が急増しました。
また、資本主義の発達によって市場取引が浸透しましたが、そこで食料の価格を決めるのは「需要と供給のバランス」です。戦争景気による「農村→都市」の人口流出で、生産者が減って消費者が増加し、その結果、主食である米は「需要>供給」の状態が続き、どんどん価格が上がる『インフレ』が発生したのです。
そんな状況下で、『米騒動』 [4]が発生するなど、社会はどんどん不安定になっていったのです。
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画像元はこちら [6]
当然、政府は国内を落ち着かせるために食糧調達を安定させようとします。
しかし、そこに立ちふさがったのはなんと『大地主』だったのです。
大地主は農産物を小作人から徴収した上で政府に納めていましたが、当時のインフレ状況下では「自分で売った方が儲かる」ことは明らかでした。まして、小作人から集めた農作物(特に米)を市場に流通させなければ、供給が減ってますます価格が上がるのです。大地主~商人を通じた『ヤミ米』はこの当時流行ったらしく、政府による統制が取れない状況になりつつありました。
つまり、もはや地主は政府にとって『邪魔者』となったのです。
この辺りから「地主の解体」「自作農の推進」という意見が出始めていたようです。
4.第二次世界大戦による大きな変化
このような流れの中、日本は日中戦争・太平洋戦争と、再び戦争の渦に入っていきます。食糧問題に関しては、「戦時体制」という名目の下で『食糧管理法』(1942)が制定され、政府が食糧の生産・流通・消費を一元管理する仕組みができあがります。
結局、日本には敗戦という運命が待っていましたが、一部の官僚・政治家は、それまで日本を縛っていた体制が崩壊するのをチャンスとして、GHQに『農地解放』を認めさせたのです。この時動いた政府関係者にとって、「地主の解体→自作農の実現」は長年の悲願だったと言われています。
かくして、『農地解放』は実現し、二度と大地主が現れないよう念入りな予防線を張った上で多くの自作農業者が誕生したのです。
5.総括
以上の流れを簡単にまとめると、「国が税金を集めるために地租改正を実施 → 貨幣経済の浸透・大地主の登場 → 戦争による好景気 → 現金で食料を買う仕組みの拡大・国と組んだ大地主の勢力拡大 → 不景気到来・インフレ発生 → 暴動 → 大地主が邪魔になる → 敗戦時に農地解放で大地主を解体」となります。
どうも、国の都合で振り回されているような印象がします。
なんにせよ、現在の日本農業衰退の原因と言われる『農地解放』は、「食糧増産のための措置」というより「邪魔だった大地主を解体するために行われた」と見るのが妥当でしょう。
しかも、一次案では日本の実情に合った内容だったものが、結局はGHQによって姿を変えられてしまったのです。(詳しい内容は前々回の投稿 [2]参照)
これは、今後の農のあり方を追求する上でも固定しておきたいポイントです。
そして、大地主の解体・再発の防止を主目的にした(しかもスタート地点から日本の実情とずれた)農業政策を引きずったままで日本の農業は変わり得るのか?
この点を押さえつつ、今後も追求は続きます。
~続く~