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旧観念無用。役に立たない観念など、もう要らない。

■こんばんは まるいちです。 😀
今日は、新シリーズ【次代を読む⇒次代の農業・・・どうする!?】で、
「旧観念無用。役に立たない観念など、もう要らない。」を取り上げます。
旧観念とは「共認の輪『るいNETWORK』」 [1]新概念一覧 [2] 新概念定義集 [3] にあるように

古代宗教や近代思想(恋愛・自由・個人・人権etc.)のこと。旧観念の深層には、私権闘争が生み出す苦の現実(戦争や支配や貧困)への否定意識や変革不可能視が刻印されている。つまり、現実の中に可能性を求めるのではなく、現実(の自分や人々)を非充足のまま放置して頭の中だけで代償充足を与える倒錯観念・代償観念である。

です。
●更に詳しく知りたい方は↓をご覧下さい。
旧観念と新しい概念装置の決定的違い [4]
旧観念の構造 [5]
近代思想は宗教と同根 [6]
■実は、農業の現場でもこの事を実感する事がよくあります。
●特に、近代農業・・・旧観念に裏打ちされた農業・・・がもたらした弊害は大きい。
↓参考投稿です、是非ご覧下さい。
工業農業にまつわる7つの神話 [7]
農業に関する偏見と嘘・・・騙されてはいけない! [8]
日本のODAが生み出す、地元住民の生活と自然環境の破壊 [9]
『緑の革命』って、どうなん? [10]
途上国を市場に巻き込んだ「緑の革命」 [11]
先進国の農業保護政策が途上国を食糧輸入国に追い込んでいる [12]
●同様に農業を対象化する意識の問題もあります。
↓参考投稿です、是非ご覧下さい。
勘違いしていた「実現派」 [13]
こだわり派の問題 [14]
★近代農法は絶対、工業的な農業が飢餓を救う、ODAが貧困を救う、緑の革命が発展途上国を救う・・・今までずっと言われてきた事ですが、現実は全て逆で環境破壊と貧困、飢餓を増大させている。
 同じように農業の持つ価値や意味、展望を対象化せず、イデオロギーの発露と個人的充足の対象としてしか農業を見られていない。
⇒これら全て、【旧観念発】の発想です。
 「旧観念無用。役に立たない観念など、もう要らない。」
 農業の現場でも全く同じです。
【次代の農業をどうする!?】と言う視点では旧観念から脱却し、現実直視、現実肯定の発想こそが求められてると思います。
続きに【次代を読む】 [15]より「旧観念無用。役に立たない観念など、もう要らない。」を抜粋掲載しますので是非読んでください <(_ _)>
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旧観念無用。役に立たない観念など、もう要らない。
 しかし、出口が見えないということは、これまで人々に一方的に発信し続けてきた学者や芸術家やマスコミなどの専門家たち=発信階級の撒き散らす旧観念が、全く役に立たないということである。現に、社会が全面的な行き詰まりを見せているのに、彼らは未だに何の答えも出せないでいる。
 何故か?彼ら発信階級は表現することでメシを喰っている単なる表現者であり、現実の圧力の真っ只中で生きる人々を外から眺める傍観者に過ぎないからである。現実から逃げて、発信階級の道を選んだ只の傍観者に、現実の真の姿が見える訳がないし、現実に使える認識を生み出せる訳がない。
 それだけではない。実は、古代宗教や近代思想に代表される旧観念の深層には、現実からの逃避ベクトルが深く刻印されている。それは、私権闘争が必然的に生み出す戦争や支配や貧困などによって、現実世界が否定すべき「苦」の世界としか感じられなかったからである。しかも、万人が私権を共認し、誰もが私権の獲得に収束している以上、それによって作り出された現実世界を変革することは不可能である。だから実現不可能視を刻印された知識人たちは、現実の中に可能性を求めるのではなく、頭の中だけに閉ざされた充足を求める(当然それは決して実現されることがない)倒錯思考に嵌り込んでゆき、こうして現実(の自分や人々)を非充足のまま放置して頭の中で代償充足を与えるだけの観念=神・恋愛・自由・個人・人権などの架空観念(現実には存在しない、頭の中だけで作られた観念)しか生み出してこなかった。
 言うまでもなく、誰も実際には(つまり、頭の中だけではなく下半身も含めて)現実を否定することなど出来ない。
 ところが、私権時代の旧観念(宗教や思想)は全て、この異常な現実否定意識に基づいて作られている。その証拠に、これまで現実を否定する意識は、常に暗黙の内に正として意識され、現実を否定する意識そのものを疑うような意識は、全く登場してこなかった。例えば、「我思う(デカルト)」ことそのものに対する懐疑(例えば、全てを疑う自分がおかしいのではないかという疑問)は、針の先ほどの疑問さえ全く生じ得なかったのである。これは、現実否定→倒錯思考が、私権時代を貫く思考のパラダイムである事を示している。

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