- 新しい「農」のかたち - http://blog.new-agriculture.com/blog -

食糧危機!!新しい農のかたちとは?!第四章日本の農業の危機 【市場に翻弄された戦後の日本の農政】

グラセオ [1]「食糧危機!!新しい農のかたちとは?!」
第4章に突入です
第4章 【市場に翻弄された戦後の日本の農政】
戦後の日本とはどのような状態だったのか?
日本の農政はどのような道を歩んできたのか?
大筋を展開していきます。


  
 
戦時中の日本では、徴兵や国土の荒廃により食糧の生産力は激減する中、
  食糧確保は国家課題 でした。
  そこで政府は主食である米を国家一括購入し、国民に再配分する「食糧管理法」を制定。
  この国家が主食である米の流通を管理する「食管法」は、戦後も続くこととなります。
 
 
敗戦後、GHQ主導の占領軍が、地主から土地を剥奪し小作農に均等に配分する
  農地改革を断行し、これにより、自前の土地を手に入れた農民の耕作意欲は向上し、
  食糧増産への道が開かれました
  しかし1954年、アメリカは日本に経済社会構築のため食糧増産の打ち切りを要求 👿
  財政投入型の食糧増産をやめて日本はアメリカの余剰農産物を円で買う
  そのかわりにアメリカは日本製品を購入するというMSA協定を結び、
  増産対策(いわば食糧自給)の放棄と小農保護政策の中止へ。
  学校給食にパンと脱脂粉乳が導入されたのもこの頃です。
 
 
 
1960年代、「経済成長」が国家命題の下、3つの政策を柱に『農業基本法』が制定されます。
   2/3の農家に離農を促し、優良な農家の規模拡大で経営の安定化を図る。
   機械化、大型化を促すために農業土木工事を遂行。
   食の変化による米需要の減少から、米以外の生産品目の拡大と効率的な単作化を促進。
これらの補助事業や助成事業を、金融制度と絡めて誘導し、「目の前に補助金というカネをぶらさげて食いつかせて従わせる という今日に至る農政の施策パターンの原型がつくりあげられます。
 
農業は、土木工事や石油関連業界、商社、機具・設備メーカーの消費市場となりましたが、その反面、
農家は「機械化貧乏」という状況に悲鳴をあげ、ただひたすら高齢化の一途を辿っていくようになります。さらに、土地を手放したくない農家の多くは、安定した稲作を選択し、兼業農家になることで、他産業との所得格差の是正を政策に頼らず実現させていくようになるのです。
このようにして農政の目指す大規模で経営の安定した農家は一向に増えてゆきませんでした。
 
 
 
 
1970年代、洋食化が一気に米消費の減少に拍車を掛け、米は生産過剰気味になり、
  米価負担が増し、食管会計の赤字が始まります
  それを抑止する為に、政府は今までの高く買い安く売る価格設定方式を放棄して
  「価格や数量は生産者側と流通側の双方が決定する」という自主流通米制度
  導入と、「米の生産調整」いわゆる「減反政策」を取っていきました。
 
 
 
 
1990年代国際社会では対日貿易収支の不均衡の解消を
  農産物の市場拡大に求める動きが活性化し、牛肉・オレンジの自由化や
  ミニマム・アクセス(最低輸入義務)による米輸入という外圧
  加わってゆくことになります。そしてついに、日本は米販売の国家管理を廃止し、
  『主要食糧の需給および価格の安定に関する法律』(新食糧法)を制定し、
  米の販売や価格設定を完全に市場に委ねることになったのです。
  これにより米価は下落し、農家の経営は更に苦しくなってゆきました
 
 
 
1999年新たに制定された「食糧・農業・農村基本法」は、農業ばかりでなく、
  地域の活性化や農の持つ環境保護の側面にも光を当てた総合的な政策を目指すものです。
  しかし転換の動機があくまでWTOによる市場開放の圧力によるものに過ぎず、
  市場原理を基盤にした個人経営の向上と効率化の路線に変化はありません・・・。
 
 
 
 
戦後から現在に至る農政は、産業としての農業の確立を目指し
  農業は市場に組み込まれていきました
  そして、補助金のバラマキと称される政策の数々は、市場を基盤に
  個人経営できる農家という幻想から抜け出せなかった為に

  失敗に終わり、農業そのものを窮地に追い込んでしまったのです
→【村落共同体の解体~個々に解体された消費構造~】へつづく。
参考投稿:失政続きの戦後農政 [2]
      失政続きの戦後農政(続き) [3]
      
      
最後に、応援してくださるという方 は、下のボタンをクリック お願いします☆
また、グラセオ [1]の改良のために、コメントくださると嬉しいです

[4] [5] [6]