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日本農業、破壊の歴史と再生への道筋5~農協が作り出した「高コスト農業」

前回記事:日本農業、破壊の歴史と再生への道筋4~巨大組織、JA農協の特殊な生い立ち [1]

 

「農会」と「産業組合」、戦前からあった二つの組織が、戦時体制の下で「農業会」という一つの組織に統合された。そしてJAは、この「農業会」を引き継ぐ形で登場する。

■”官製”協同組合

「日本の農業を破壊したのは誰か」(著:山下一仁)より引用(P95)
戦後、農業会を引き継いだのがJAである。食糧難の時代、農家は高い値段がつくヤミ市場にコメを流してしまう。そうなると、貧しい人にもコメが届くように配給制度を運用している政府にコメが集まらなくなる。実際に集まらなかったので、コメがなかなか国民に配給されず、国民生活上大きな問題となった。このため、政府は農協を作って農家からコメを集荷し、政府へ供出させようとして、農業会をJA農協にしたのである。

GHQの意向は、戦時統制団体である農業会を完全に解体するとともに、農協は強制加入ではなく、加入・脱退が自由な農民の自主的組織とすべきというものだった。しかし、戦後の食糧事情は、そのための時間的な余裕を与えなかった。こうしてJAは農業界の単なる「看板の塗り替え」に終わった。生協と違い、JAは”官製”の協同組合である。

消費者が全て生協に加入しているわけでも、労働者が全て労働組合に加入しているわけでも、医者が全て医師会に加入しているわけでもない。しかし、農家のほとんどがJAに加入している。法律によって加入が強制される弁護士会を除いて、加入率が100%の組織というのは、他に例がないのではないか。全戸加入の農業会を引き継いだため、農家はJAに自動的、半強制的に加入し、自主的に加入したという認識を持たなかった。

 

農協は、行政のコメ集荷代行機関になるとともに、行政と同じく全国にピラミッド型の組織を構築してきた。しかし為されてきた施策自体、果たして「農業振興」のためと言えるものであったか?

 

 

■農協が作る高コスト農業

農政は補助金行政の典型と言われる。農業の補助金は、減反補助金や中山間地域等直接支払いなどごく一部の例外を除き、農家個人には交付されなかった。補助金は公共性が求められるという理屈だろうか、複数の農家や農協が共同で行う機会・施設等にのみ交付された。このため、0.3ヘクタールの零細兼業農家が3軒集まれば1ヘクタールに満たなくても補助事業の対象となるのに対し、5ヘクタールの大規模専業農家は補助の適格性を欠くことになる。

JA農協は、農家の組織体という共同性から補助事業の受け皿ともなった。農協が高価な農業機械を農家に販売しても、その値段の半分の補助金がつけば農家は安く購入できる。財政、納税者の負担で、JAも農家も潤う。補助事業は、農家がJAの組合員であり続けるための経済的なインセンティブとなった。逆に、JAと疎遠になった農家は、補助金の申請が困難になる。補助金は農家をJAにつなぎとめる機能も果たしている。

食管制度時代、コメの生産費と、他産業並みの所得はまるまる面倒を見るという生産者米価算定方式が採用されていた。このため、非効率な農業経営の費用も、生産者米価の算定に織り込まれた。農家が高い農業機械を買えば買うほど、生産者米価は上がった。もちろん農業機械を販売する農協は大きな利益を上げた。

>肥料や農薬、農業機械などの生産資材価格は生産者米価に満額織り込まれた。JAが農家との利益相反となるような行為を働いても、農家に批判されない仕組みが、生産者米価算定方式によって、制度化されていた。肥料などの農業資材を農家に高く販売すると米価も上がる。食管制度の下で米価を高くすると、農家にとってヤミに流すうまみが薄れ、JAを通じて政府に売り渡す量が増え、JAのコメ販売手数料収入は価格と量の両方で増加する。こうしてJAは農家への資材の販売、農家の生産物の販売の両面で、手数料収入を稼いだ。

 

本質的には「補助金漬けによる産業の弱体化=骨抜き」を進めたこれらの施策は、自民党・農林水産省との結託による「農政トライアングル」をもって永らく維持されることとなる。

 

そしてJA自身は、”脱農業”でますます肥大化していく。

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