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『農業と政治』シリーズ6:農協の「脱農業」化が、本気の農民たちを苦しめる

80年代に入ると、農協はその組織規模を急速に拡大させていきます。

…? 不思議です。
農業自体は衰退を辿る一方であったはずなのに、拡大基盤は何だったのか?

80年代の農協と農民たちの生業を生々しく記録した著書「農協(1984年初版)」から、その実態を明らかにしていきます。

●農家も農業もなきに等しい農協の出現
農協はあっても事実上、農家も農業もなきに等しいという農協がある。たとえば東京の大田区である。大田区には大田区農協と大森農協と2つの農協がある。どちらも同じような規模だ。大森農協の場合、耕作総面積わずか10ヘクタール、この耕地に正組合員135戸、準組合員約1500戸がへばりついている。

実を言うと、ここの組合員資格を満たしても、日本の法律上は農民と認められていない。10アール以上を耕作し、年間60日以上農業に従事していなければ、農業委員会の選挙人資格がないのだ。大森農協の正組合員135戸のうち、この資格を満たす者は、わずか43戸。その農家で8.8ヘクタールを所有しているから、残り1.2ヘクタールに90余戸の「農家」がひしめいている勘定になる。しかも、この農協に20人の役員と60人の職員がいる。ほんとに農業をやっている農家1戸に2人の役職員がついている勘定になる。

 

●「農業を守る」から「農民の資産を守る」への転換
いったい農協は何をやっているのかと不思議になる。聞けば、農産物の販売はゼロ。農家の大部分は販売するほどのものを作っていない。少数の販売農家は農協を頼らず自力販売をしている。肥料、農薬などの生産資材の扱いが年に650万円あるが、それよりもはるかに多いのが、なんと観光旅行の斡旋事業で、これが経済事業の最大の柱になっている。

もっとも経済事業全体の収益は微々たるもので、総事業収入の3%にしかならない。残りは何かというと、実に95%が金融事業からの収益である。事実上、大森農協は金融機関になってしまっているのだ。職員の75%は金融業務の担当である。

この農協で正組合員の8倍もいる準組合員とは、農協の金融事業を利用したいがために農協に入ってきた農外の人々である(1万円出資すれば準組合員になれる)。具体的には地域の商工業者であり、サラリーマンや公務員も少なからず(35%)いる。商工業者は事業の運転資金を借り、サラリーマンは住宅ローン、教育ローンなどがお目当てである。

もちろん、正組合員たちも金を借りるが、その大部分は営農資金ではなく、彼らが副業として営んでいる(実際にはそちらが正業となっている)アパート、マンション経営などの各種事業資金である。いってみれば、大森農協は、「元農民」の小資産家たちが共同で営んでいる金融機関のごときものに転化してしまっているのだ。

それを象徴しているのが、大森農協で一番大きくかつ活発な部会は、「資産管理部会」であるということだ。この部会では、資産の有利な運用法の研究、不動産賃貸業にかかわる問題処理や地主に有利な契約の仕方などの研究、税理士を呼んでの”節税”法の研究といったことをしている。

 

●農協の「脱農業」化が本気の農民たちを苦しめる
大森農協は東京の農協の縮図である。他の地域ではもう少し農業が生き残ってはいる。しかし、いずれもその向かいつつあるところは大森農協型の「脱農業」農協である。すなわち、ごく一部の真面目に農業を継続している農民を除いては、大部分が事実上、農業を捨てて、地主業ないし不動産賃貸業に転じ、あるいは形ばかりの農業を続けながら、偽装農地のさらなる値上がりを待っているだけの偽装農民という構成になりつつある。そして、農協自体は金融機関に化していき、少数の正組合員とそれに数倍する準組合員という構成になっていく。

ここでよくよく大都市周辺の農民たちに考えてもらいたいことは、高地価で誰よりも困っているのは、全国の本気で農業に取り組んでいる農民たちだということだ。都市周辺の高地価が全国に波及していった結果、もはや誰も土地をそう簡単には売ろうとしなくなり、価格面からも供給面からも、意欲ある農家の規模拡大が阻まれている。

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