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農的社会7~改めて、日本農業の強みと課題を整理する

かつてないほど、国内農業に注目・期待が集まり始めた現在。

改めて日本農業の強みと課題を整理しておきたい。

 

以下、転載(「未来を耕す農的社会」2018著:蔦谷栄一)

■競争一辺倒からの脱却
TPP(環太平洋パートナーシップ制度)やFTA(自由貿易協定)による貿易拡大を目指しているだけに、産業全体として輸出攻勢をかけていくためには、一方で相互のバランスを図るために人身御供を差し出すことが要求され、結果的にとはいえこの人身御供を押しつけられてきたのが農業である。
「農業は重要」「農業は守る」と口では言いながら、結局はいつも貿易交渉の取引材料とされてきたのが農業であり、そのつけは農業・農村・農家に押しつけられ、現在の農業・農村・農家の疲弊を招いてきた。こうした事態を招いてきたのは農業側が農業の構造改革に取り組んでこなかったからであり、構造改革を妨げてきた張本人は兼業農家であり農協であるという論理がまかり通ってきた。

日本の農産物が価格競争力に乏しい主因は、他産業の発展、高度経済成長に伴う急激な円高と産業間の比較優位の問題であり、あわせて狭小で起伏が激しいという自然条件によるところが大きい。大規模化等によって生産性をある程度まで向上させることはできても、日本の農産物が価格競争力に乏しいのは構造的な必然であり、国際競争力を獲得するには遠く及ばないことは明白である。
生産性向上による価格引き下げ努力は必要ではあるが、所詮、これには限界があることを踏まえて、国が食料を守るという姿勢を明確にし、これにふさわしい政策支援を講じていくことが必要である。

むしろこれを前提にしてどのような日本農業にしていくべきかが議論されなければならないことを繰り返し述べておきたい。このためにはこれまでの欧米農業をモデルとする愚、言い換えれば日本農業は近代化が遅れているとするコンプレックスから脱却しなければならない。本来、自然に大きく依拠する農業は、国により地域によってまちまちであってしかるべきであり、むしろ日本農業が持つ特質をしっかり踏まえておくことが重要である。

そこで日本農業の特質として考えられるのが、➀豊富な地域性・多様性、➁きわめて水準の高い農業技術、➂高所得かつ安全・安心・健康に敏感な大量の消費者の存在、➃都市と農村とのきわめて近い時間距離、➄里地・里山、棚田等のすぐれた景観、➅豊かな森と海、そして水の存在、等となる。

 

■地域性・多様性の重視
これまでの流れの中で特に注目しておきたいのが、➀の豊富な地域性・多様性である。和辻哲郎の『風土』を持ち出すまでもなく世界はモンスーン、砂漠、牧場等に分かれ異なった風土そして農業が形成されてきた。しかしながら近代化の進行とともに小麦、トウモロコシ、米を筆頭に生産性の高い大規模経営によって単作による大量生産が拡大して価格低下をもたらし、伝統的な食事から西洋型への食生活の変化と農産物貿易の自由化が一体となってこれを後押ししてきた。少品種大量生産を志向するほどに、単純で均平な土地を使っての大規模生産のほうが効率は高く、農業に適しているということになる。したがってブラジルやオーストラリア等の新大陸型の農業が最低価格を実現することによって競争力を確保し輸出攻勢をかけてきた。

ブラジルの農業地帯を車で走ると、半日、一日走っても風景にほとんど変化はない。どこまでも延々とトウモロコシ畑や草地、あるいはサトウキビ畑が続く。
これに対して我が国ではそれこそ20分、30分も走れば風景はどんどん変わってくる。南北に長く脊梁山脈が走るとともに盆地があちこちに形成されており起伏が激しい。それだけに平地は少なく傾斜地が多い。また海岸線が長く、砂浜だけでなく、急傾斜にせり上がった海岸も少なくない。

そもそも日本はモンスーン地帯にあるとともに、長い日本列島の北は亜寒帯、南は亜熱帯に属する。また太平洋に黒潮が、日本海を黒潮から分かれた対馬暖流が北上する一方で、北からは親潮が南下する。南北での大きな温度差とともに、モンスーンや海流の影響も大きく、しかも四季の変化がきわめて明確である。これに先に触れたとおりの複雑な地形がからんで豊富な地域性と多様性をもたらしている。地域の特性を生かして、北海道では酪農や畑作、東北や北陸では稲作、関東では野菜、甲信越では果樹、中部・近畿では稲作や野菜、中国・四国では果樹や野菜、九州では果樹や畜産等が盛んである。これらに加えて、それぞれの地域の中でも標高や土質等の相異を生かして、適地適作でその風土に合った農産物が栽培され、これに山の幸も加わって、伝統的な食事、郷土料理が形成され、さまざまな農畜産物の生産が行われてきた。地形の変化が激しく起伏の多い日本であればこそ地域ごとに多様な農業が展開されてきたといえる。

こうした一方で均平な土地は少なく、概して大型農機の導入は容易ではなく、大規模経営に向かず、生産効率は低い。逆に地域性・多様性に富んでいるが故に農業の近代化を妨げてきたというのが経済効率を重視する側の見方である。そしてこうした見方が明治維新以降、農政、農学を支配してきたのが実情であったといっていい。

もはやこうした見方、こうした農政は時代遅れになりつつあるといって差し支えなかろう。地域性に富み多様な農業が可能であるというのは日本の強み・財産であり、これを生かしていくことをこれからの農業の柱とすべきである。
その地域でつくられる少量多品種の農産物はどこででもつくれるものではなく、かつそこにしかない味であり、自ずと差別化され、輸入物との競合は相対的に少ないといえる。むしろ自然条件に多くを依拠する農業であるからこそ自然条件・風土を生かして、そこにしかない地域性・多様性に富んだ農業を展開する中で、食料の安全保障を確保するために一定程度の稲作等生産を取込み、農業経営を可能にしていく措置を考えていくのが筋道というものではないか。

次の➁のきわめて高い農業技術を持っていることについては説明を要しないであろう。長い歴史の中での知恵・工夫の積み重ねが、職人技ともいうべき農業技術を結晶させてきたのである。ただし、機械化の進行、あるいは農業機械の大型化が進む中で、機械の操作技術が向上する一方、手作業による技が次第に失われつつあるとともに、田畑や農作物の生育状況等を観察する力が低下してきていることは、やむを得ない面もあるが、意識的にこれらを残し、つないでいく努力が求められている。

 

■消費者の理解獲得へ
これからの農業で最も必要とされてくるのが消費者の理解獲得である。日本にいると当たり前で意識することもないが、➂の1億2000万人の人口、しかも安全・安心・健康、品質に敏感で口やかましい消費者が多いことは大きなアドバンテージであり、消費者ニーズへの対応を図りながら、改めて国産の農産物についての理解を獲得していくことが重要である。そして消費者に理解していくのに一番いいのが、消費者に直接、農場に足を運んでもらって交流なり体験をしてもらうことである。狭い日本、しかも高速道路、新幹線、飛行機等の交通インフラが我が国では高度に整備されており、➃のように都市と農村との時間的距離はきわめて近い。若干の費用負担を余儀なくされることにはなるが、こうした条件にはきわめて恵まれているのが日本農業なのである。

我が国でも里地・里山や棚田に”故郷”を感じて再評価する動きもあるが、最近ではインバウンドブームでたくさんの外国人が来日する中、日本の里山や棚田に魅力を感じて農村を訪れる外国人も増えている。➄の里地・里山、棚田等の景観は、➅の森が育んでくれた豊かな水とともにまさに日本の財産であり、これらと一体となって日本農業は形成されてきたことを改めてかみしめ直すとともに、これらを生かしていくことが日本農業を維持していくことに直結してくるように思う。
まさに都市農業が農政から除外されながらも一定程度の農業・農地を維持することができたのも、こうした特質、都市ならではの特質を生かしてきたが故であり、都市農業に学ぶべきところは多い。

改めて考えてみれば、今、存続の危機にさらされている日本農業はこれだけの特質を持ち、非常に恵まれた条件の下に置かれていると同時に、生態系は豊富であり世界でも有数のバイオマス(生物資源)の賦存量(理論的に導き出された総量)を誇っている。世界には砂漠や乾燥地帯も多い中、このように恵まれた自然を含めた条件に置かれている日本で農業経営が成立し得ないこと自体が世界の非常識と言うべきであろう。こうした事態を招いているのは農家、農協の責任だなどというのはとんでもない話で、まさに日本の政治と農政の貧困がもたらしたものであるとしか言いようがない。

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