
みなさん「農業全書」ってご存知でしょうか?
「農業全書」とは、江戸時代前期に著された日本初の農書です。
日本は瑞穂の国と言われ、大昔から農業国として成立していたので、農民は特別な技術がなくてもある程度の収穫はある程度の収穫はありました。
けれども、農民の技術や工夫は個別に親から子へと伝承されるだけで、江戸時代前期にいたっても、農業技術の高度化や普遍化、蓄積や共有化は、全国の農民間では全くなされていませんでした。
加えて、
人工が拡大し、生産がそのスピードに追いつかず、
また突然の自然災害や飢餓に備えられる体制が整っていませんでした。
そこで、生まれたのが農業全書です。
農業技術の蓄積と、生産性の向上のために書かれました。
この「農業全書」の考え方を300年の時を経て、現代に受け継いで広めている人達が居ます。
農学博士であり百姓である宇根豊氏と、農民であり作家である山下惣一氏です。
この2人は1990年代から「NPO法人農と自然の研究所」を立ち上げ
脱市場の農業活動を、九州を拠点にして行なってきました。
今回のコラムでは、「農と自然の研究所」の代表理事でもあった宇根豊氏が
現代の言葉で語る「農業全書の視点」をご紹介したいと思います♪
NPO法人「農と自然の研究所」は、2000年5月20日に設立。
設立当初の会員数は約300人でした。
その後2001年9月7日に、福岡県から特定非営利活動法人(NPO法人)認証を受け、
2003年4月現在会員は約800人です。
農と自然の研究所は
「農」が生み出すカネにならないものを、百姓が胸を張って表現し、
国民がその通りだと言って支援するための思想や、
事実や、摂理や、農法や、情報や、感性を深めるために設立されました。
彼らのいう「農」が生み出すカネにならないもの。とは、どんなものだと思いますか?
私は、
「田んぼに赤とんぼが飛ぶわけ」
「棚田が美しいわけ」
「田んぼに小石がないわけ」
を、考えたことがありませんでした。
当たり前になっている農業のカタチ。
私達が持っていない視点で気付かせてくれます。
以下HPより抜粋です。
http://hb7.seikyou.ne.jp/home/N-une/
田んぼの忘れもの / 宇根 豊 ・他・抜粋
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■害虫と農薬
「害虫だけを殺す農薬なんて、絶対に存在しない。
なぜなら、害虫が死ねば、害虫の体内に寄生していた天敵も死ぬし、害虫を食って生きている天敵にも影響を与える。生物を排除するために、農薬を散布する。その効果が優れているほど、排除・駆除しようという気持ちは肥大していくだろう。そして害虫だけを殺す、安全な農業という自己矛盾、認識の誤りに気づかないほど、人間と自然の関係は空洞化していくのだ。こうした発想の農業技術を、援助と称して輸出するわけにはいかない。」
■地域と多様性
「地域、地域に多様な穀物が栽培され、稲でも、多様な種類が栽培され、多様な食べ方がいきていた時代を決して忘れてはならない。国家のためではなく、消費者のためだけでなく、自分や地域のために田畑を耕し、そこにあった作物をつくる。そのことが文化を豊かにし、環境を守ることにもなるだろう。そのために稲作を楽しむ百姓の思想こそが、消費者や国を救うことになりはしないかと、予想する。」
■量の価値と大切な価値
「米という生産物の量だけで、生産力をはかるのは一面的だ。その田んぼに住むいろいろな生き物も含めて生産物だと考えたらどうだろう。生産量だけを追究した農業近代化技術は、生産力そのものを痩せさせているという事実がある。」
■赤トンボと近代思想
「赤トンボから目をそらしてしまう何かを、ぼくは、近代化思想と呼ぶことにする。とくに戦後の農業の近代化によって、何かが失われ、何が残っているかを、ぼくは検証するためにこの本を書こうと思った。学問や行政の視点・言葉ではなく、そこに住む生き物や人間の視点・言葉で語ろう。そして、もう過去に後戻りできないのなら、近代化の行く末の未来ではなく、別の未来を提案したい。」
■田んぼの土
子供たちの教育の中で、農業体験が取り入れられるようになっている。田んぼに田植えにやってきた都会の子どもが、「どうして田んぼには石ころがないの?」と聞いた。
石ころがなくなったのは、百姓が足にあたるたびに、掘り出して、捨ててきたからである。それも、10年、20年でなくなったわけではない。これが土の本質である。土の中にはたぶん百姓と自然が、土を作り上げてきた数百年の時が蓄積されているのだ。
初めて田んぼに足を踏み入れた子供たちは、田んぼの土のぬるぬるとした感触に驚く。
この土のぬるぬるとした感じは、数十年数百年かけて、百姓が耕し、石を拾い、有機物を運び込み、水を溜めてつくってきたものだ。しかし、百姓だけがつくったのではない。自然からの水が、山や川床からの養分を運び入れ、田んぼの中では藍藻類が空気中の窒素を固定し、稲の根が深く土を耕すから、こんなに豊かな土ができるんだ。
■土と命
このぬるぬるは、生きものの命の感触なんだ。だから水を入れて代かきすると、ミジンコや豊年エビやトンボなどが生まれてくるし、いろいろな生きものが集まってくるんだ。
こうした田んぼで、稲が育つ。だから米は「とれる」「できる」もので、人間が「作る」ものではない。人間が関与できるのは、「土づくり」だけだ。その土も、山や川、藍藻類やオタマジャクシなどの自然と、石を拾ったり、水を引き込んだりする人間との共同作業なのである。
■めぐみ
農業とは自然に働きかけて、自然から「めぐみ」をいただくことである。そして農産物とはそのめぐみのごく一部に過ぎない。
こう考えると、農業こそは、自然に抱かれ、自然の恵みに養われて生きている人間の本質に根ざした営みである。近代科学技術、近代工業の発展によって、その自然が忘れ去られた事で、こうした農業の真の姿も見えなくなってきたのだろう。

■アキツクニ
トンボやメダカ、蛍が、ふつうに棲んでいた田んぼが見られなくなり久しい。戦後、生産の効率という、どちらが多く金を生み出すのかで、物事の価値を判断する考え方が広まった。
なぜ、秋になると、赤とんぼが、たくさん舞っているのか?それを辿って行ったとき、そこには田んぼの存在があり、人間も含めた自然環境を支える、生態環境の全体像が見えてくる。米だけが、もっと収穫できれば、そこに虫やタニシや、ヤゴ、鳥などが、いっさい居なくなっても、人間は、暮らし続けられるのだろうか、そういう原点に還ってみる。
古代、我が国は日本を「瑞穂の国」、あるいは「アキツクニ」と自称した。その「瑞穂」とは、瑞々しい稲穂という意味であり、アキツとは、その上を飛ぶ赤トンボたちのことである。
いかかでしたか?
宇根さんは、単に農の大切さや、野菜の効用を伝えているのではないと私は感じました。
農というものは、本来どういったものなのか?
今の農業と、昔の農業は技術的にも異なりますが、農の精神というものも変わっています。
作物はつくるものではなく、とれるもの、できるものである。
だから、感謝しなければいけないなって思いました。
みなさん。ご飯の前に「いただきます」って言っていますか?
お母さん、もしくはお父さんに作ってくれてありがとうという意味で「いただきます」って言っているご家庭が多いかと思います。私なんかは、一人暮らしで、作るのは自分だし、食べるのも自分です。「いただきます」ってちゃんと言ってなかった気がします。
ご飯の向こう側にいる、お百姓さんありがとう。そのまた向こう側にいる、土や、太陽や、微生物にありがとう。そんな意味もこめて「いただきます」って言いたいですね♪