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食と日本人の知恵シリーズvol.5~貝原益軒『養生訓』に学ぶ

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みなさん、こんにちは。今日は『養生訓』をご紹介します。
養生訓は1713年に儒学者である貝原益軒(かいばらえきけん)によって84歳のときに書かれた文書で、老人の生き方を示した書とか健康書と言われ、現在に伝えられています。全部で8巻からなり3、4巻が食事について触れられています。この本が書かれた江戸時代にどのような考え方で食事を捉えていたのかがとても興味深いです。
そこで今回は先人の知恵に学ぶ意味でも、養生訓をご紹介したいと思います。
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以下、コチラ [1]より抜粋紹介です。⇒部分は引用者のコメントです。
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巻第三 飲食 上
1 元気は生命のもと、飲食はその養い
ひとの身体は元気を天地から受けて生まれ出たものであるが、飲食の養分がないと、元気は飢えてなくなり生命をたもつことはできない。元気は生命の根元である。飲食は生命を養う養分である。それゆえに、飲食の養分は人間が毎日欠くことのできない大切なものである。半日でもなくてはならないものである。
とはいうものの、飲食は人間の大欲であって、口や腹が好むところである。好みに任せて食べすぎると、度をこして脾胃(ひい:引用者注:主に腸のこと。消化器官全体を表すこともある)を傷つけて諸病をひき起こし、命を失うことになる。五臓が生ずるのは腎からである。生じてしまえば脾胃が中心になる。飲食すると脾胃がこれを受けて消化し、その養液を内臓に送り出す。
内臓が脾胃に養われることは、草木が土気によって成長するようなものである。事実、養生の道は、まず脾胃を調える必要がある。脾胃を調整することは人身における第一の保養である。古人も「飲食を適度にして身体を養う」といっているのである。

⇒飲食についての総論といったところでしょうか。天地から元気を頂いてできたのが身体で、飲食はそれを養うものだとしています。脾胃とは消化器官、主に腸のことで、近年腸の重要性が言われていますが、腸を整えることが第一と最初に固定しています。
るいネット参考記事◆脳と同じくらい重要な腸 [2]
さて、食事をする上で「腸を大事にする」ことはわかりました。では、どんなものを食べるのが良いのでしょう?

6 淡薄なものを食べる
すべての食事はあっさりした薄味のものを好むのがよい。味こく脂っこいものを多く食べてはいけない。生ものや冷えたもの、そして堅いものは禁物である。吸物は一椀でよく、肉も一品でよい。副食は一、二品にとどめるのがよい。肉も二品食べるのはよくない。
また肉をたくさん食べてはいけない。生肉をつづけて食べてはいけない。胃にとどこおりやすいからである。吸物に肉を入れたならば、副食物には肉類をそえないのがよい。

⇒献立のバランスも重要。塩分控えめもそうですが、肉をたくさん食べてはいけないというのも最近はよく言われるようになりました。消化吸収に悪いとはっきり言っています。何事も「偏る」「過ぎる」ことはよくないということだと思います。
るいネット参考記事◆肉の多量摂取で大腸がんリスク上昇 [3]
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9 五味偏勝をさける
五味偏勝という言葉は、同じ味のものを食べすぎることをいう。
甘いものをつづけて多くとると、腹がはって痛む。
辛いものを食べすぎると、気がのぼって少なくなり、瘡(湿疹)ができ眼もわるくなる。
塩からいものを多くとると血がかわき、のどがかわいて、湯水を多く飲むと湿疹にかかり、脾胃をいためる。
苦いものが多すぎると脾胃の生気をそこねる。
酸っぱいものが多いと気がちぢまってしまう。
五味をそなえているものを適当に食べれば、病気にかからない。いろいろな肉でも野菜でも、同じものをつづけて食べると、それが身体にとどこおって害になる。

いろんなものをバランスよく食べることが一番の健康につながるのですね。
偏食はできるだけ避けましょう。

10 食物の選択
食物はもともと身体を養うためのものである。身体を養うべきものをもって、かえって身体をそこねてはおかしい。それゆえにすべての食物は、この目的にかなうようなよい性(成分)をもつ。身体を養うのにプラスになるものをいつも選択して食べなければならない。益がなくても害になるようなものは、いかに美味といっても食べてはいけない。身体を温めて、しかも気をふさがないものは益がある。生ものや冷たくて吐きくだしを起こし、気をふさぎ、腹がはるもの、また辛くてひどく熱いものは、みな害がある。

⇒現代的に見ると、いいもの悪いものを取捨選択して食べなさいという感じですが、「すべての食物は、この目的にかなうようなよい性(成分)をもち、身体を養うのにプラスになるもの」なのであるという認識は、食べ物も頂く以上、その役割を十二分に発揮させて食べるべきであるという風にも捉えられます。
さて、「何を食べるか?」は大体わかってきました。では、「どういう風に食べる」のがよいのでしょう?

7 飲食はひかえめに
飲食は飢渇にならないためにするのであるから、飢渇の感じがなくなれば、そのうえ欲ばってほしいままに飲食してはいけない。飲食の欲を制することのできないひとは義理を忘れる。いわゆる口腹のひとといわれていやしまれる。
食べすぎたといって薬を用いて消化させると、胃の気は薬の力に強く作用されて、生来の気の働きをなくしてしまう。注意しなければならない。飲食をするときにはよく考えて節度を守ることだ。好物で、おいしいものに出あったら、まず戒めて、度がすぎないように自制することが大切である。
精神力を用いないと欲には勝てないものである。欲を克つには剛の一字を実行することだ。病気を恐れるには「怯い」のがよい。怯いというのは臆病の意味である。

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⇒まず飲食を慎めない人は義理を忘れる。これは自分の欲求が第一になってはいけないということだと思うのですが、現代的にみれば栄養的なことと人間関係のことなどが一体で論じられているのが面白いです(細分化してばらばらに切り取った学問ではなく、本来の学問とはこういうものなのでしょう)。
また、薬は生来の気の働きをなくしてしまう、と警鐘をならしています。薬の弊害は現在も言われ始めていますが、やはり普通の食事で身体の自然治癒力を活性化させていくことが重要なのだと思います。
るいネット参考記事◆薬は効用より、副作用の方が桁違いに多い! [4]

14 食と栄養と
世間では食を制限しすぎると栄養不足でやせてしまう、という。これは養生を知らないひとのいうことである。欲が多いということは人間の本性であるから、制限しすぎると思われるくらいが適当になるのである。

⇒中略しましたが8、15、16でも「満腹は防ぐべし、適量、腹八分」と言っているくらい、食べ過ぎはいけないことを何度も強調しています。現在では現代病の多くは「食べすぎ」に由来し、食事の量を減らしていくことで健康になるという食事療法も注目をあびていますが、これはまさしくその元祖ですね。(ちなみに姉が栄養士なのですが、同様のことをいつも言っています。)
るいネット参考記事◆食べなければ死なない [5]
さて、最後に紹介するのは食事のときに意識したいことです。
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18 五思
ものを食べるときに考えなければならないことが五つある。それを五思という。一つは、この食は誰から与えられたのかを思わなければならない。幼いときは父によって与えられ、年が長じてからは殿様からの禄によるのである。このことを忘却してはいけない。またある場合には、君主や父からではなく、兄弟、親族、あるいは他人から養われることもあろう。これもまたその食を与えて下さったひとを思って、その恵みを忘れてはならない。農工商の自力で飲食する者もまた国の恩恵を思わなければならない。
二つは、この食は農民の苦労によって作り出されたことを思わなければならない。忘却してはならない。自分で耕作しないで、安楽にしていながら養いを受けることができる。その楽しみを思わなければならない。
三つは、自分には才能も備わった徳もなく、さらには正しい行いもなく、君主を助け、人民を治める功労もないのに、こうしたおいしいものを食べることができるのはひどく幸せであると思わなければならない。
四つは、世間には自分より貧しいひとが多い。その貧乏な人びとは糟(かす)や糠(ぬか)でも有難く食べている。ときにはそれすら食べられずに飢え死にする者もいる。自分は上等なおいしい食事を十分に食べて飢餓の心配はない。これは大きな幸福というべきであろう。
五つは、大昔はまだ五穀(米、麦、粟、豆、黍)はとれず、草木の実と根や葉を食べながら飢えをまぬがれていた。そののち、ようやく五穀がとれるようになっても、まだ火を用いて食物を調理する方法を知らなかった。釜や甑(のちの蒸籠)もなく、食べものを煮て食べなかった。生でかんで食べたので、味はなく胃腸をそこなうこともあったのであろう。
いまは白い飯をやわらかく煮て、十分に食べ、しかも吸物があり、惣菜があって朝夕の二回にわたって十分に食べている。そのうえ酒があって心を楽しませ、血気をたすけている。
朝食や夕食をするたびに、この五思の中の一つでも二つでもよいから、かわるがわる思い起こして忘れてはならない。そうすれば、日々の楽しみもまたその中にあることに気づくであろう。これは私の私見(臆説)である。ただここに記したまでである。僧家には食事の五観(『釈氏要覧』にある)というものがある。しかしこれは五思とは別なものである。

ものを食べるときには、
食物を与えてくれた人に感謝しなさい。
食物を作ってくれた農民に感謝しなさい。
大した存在ではない自分が食べられることに感謝しなさい。
こんなにおいしいものを食べられる状況に感謝しなさい。
そしてこうした状況をつくってきてくれた先人に感謝しなさい。
食事は、謙虚さと感謝の気持ちを常に思いながらする。とても本源的に感じます。
そして、初めて「私見だが」と断って、『それが日々の楽しみを産むのだ』と言っています。感謝の気持ちが充足を生み、充足が活力を生むということですね。
(ちなみに五観についてはコチラ [6]
るいネット参考記事◆食の安全のためにも、もったいないという感謝の念が必要 [7]
いかがでしたか?ただのお年寄りの小言(笑)ではなくて、「確かに!」と今でも思えることばかりだと思いますし、江戸時代にこれだけの認識が既にあったことが驚きです。
科学的にどうなのかは別にして、こうした認識が連綿と口伝で語り継がれてきたのだと思います。
これらのことを謙虚に学び、意識して実践していくこと。現代では意外と難しいかもしれません。でも意識すれば明日からでもすぐにできることもたくさんあります。意識するだけで食事もさらに「おいしく」「楽しく」身体も「元気に」なるのでしょう。
ぜひお試しください。

最後に、文中にてるいネットにあった参考記事もご紹介しましたが、養生訓に通ずる認識が現代ではどのように言われているかを合わせてお読みくだされば、より理解が進むと思います。
脳と同じくらい重要な腸 [2]
肉の多量摂取で大腸がんリスク上昇 [3]
薬は効用より、副作用の方が桁違いに多い! [4]
食べなければ死なない [5]
食の安全のためにも、もったいないという感謝の念が必要 [7]
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