- 新しい「農」のかたち - http://blog.new-agriculture.com/blog -

生きる業が美しい

o0640048010719309230.jpg
おはようございます
新年がついに明けましたね 😀
今年はどんな年になるんでしょうか
私は本当にみんなにとって必要な仕事だけが残っていく、その淘汰圧力が益々高まっていくのだと想います
はたらく(傍楽)に象徴されているように、いかに周りを充足させることができたかが仕事のカギになりそうですね
そういった意味で農業を生業にしているというのはこれまで以上に輝きを放ちそうな予感ですね
今回は、るいネットより類農園に研修に行った学生の感想投稿を紹介します 「生きる業が美しい。」 [1]
続きに行く前にいつもをポチッとお願いします~

仕事とそれ以外の時間というものを、現代人はとかく明確に区分したがるものである。一方で、例えば共同体の社員さんもそうだし、農業に携わる人もそうなのだけれど、仕事とそれ以外の時間というものが、あまりきちんと分かれていない。
農に携わる場合、もはやどこからどこまでが仕事なのかわからない。毎日が仕事、でも犬の散歩も仕事だし、鶏に餌をやるのも仕事。天気の心配をしたり、ビニルハウスの土の様子をみたり、もちろん農作業もれっきとした仕事だけれど、それらを収穫して食べる事も、広くは仕事だとも言える。それはきっと生業と言うものなのだと思う。
朝、農園の空気は冷たく澄んでいて、作業場に向かうまでに見える朝霧やそこに浮かぶ陽光は言葉を失うほど美しい。しかしその美しい景色の中にも木造家屋や小屋、瓦屋根は驚くほど溶け込んでいて何の差障りもない。道路沿いから見える棚田を見た時、これを作った農家の人々というのは本当にここから、これほどまでに驚嘆せしめるほどの美しさを計算していたのかと問いかける。
僕らも例えばマルチシートを貼ったり、ビニルハウスを組み立てる時はなるべく形を整えようとする。整然と並んだ瓦屋根を作った職人さんも、瓦の質や屋根の完成度と同様に、その美しさを追求しているはずではある。
しかし遠くから見た時、もはやそれが作り手の意図を超えた遥か彼方からでさえも人を感動させられるとしたら、それは彼らの営みが美しいから、生業が美しいからとしか言いようがない。彼らからしてみれば一つ一つの形を整えたり、棚田をきれいに整地したりすることも、生業の一環に過ぎないだろう。
農業は儲からないとたしかに言うし、それは事実そうだと感じる。しかし農業も含め、農村が生み出すものは多い。ただ今まではそれに値段がつけられなかっただけの話である。お金というものが充足と引き換えにできなくなった時、仕事は社会の中で、一人の人間の生涯の中でどうあるべきなのか。僕は想う。いつしか人々が「時間をお金に」引き換えるような仕事を求めるような真似をやめ、生業を求めるようになると。

物で溢れた現代において、2011年あなたは何で心の豊かさを充たしますか?農を生業とするまでいかなくとも小さな事からでも農に関わってみてください
どんなきっかけであろうと農業で心が充たされるのは間違いないですよ

[2] [3] [4]