こんにちわちわわです。
前回までは、生態系の循環について基礎的なところを追求してきました。いよいよ、今回から、人間社会と農業について突っ込んでいきたいと思います。
😥 
画像はこんなになっちゃったレバノン杉
今回は、4大文明のメソポタミアとエジプトに迫ります。
シュメールけしからんと思った方↓↓ぽちっと!
【砂漠になったメソポタミア文明】
紀元前3000年ころ、チグリス川、ユーフラテス川にはさまれた河口地域にメソポタミア文明が栄えました。
これまで学んできたように、河口は養分が濃縮されて肥沃な土地となります。シュメール人はこの河川水をを使って、小麦の生産を行いとんでもなく高い収穫量を誇りました。播種量は20倍~80倍あったといわれ、中世のヨーロッパが5~6倍だったのと比較するとその収穫量の高さに驚かされます。
「ギルガメッシュ抒情詩」に登場する「ノアの箱舟」の物語に見られるように、この川はしばしば氾濫を起こしました。エジプト文明のナイル川の氾濫をエジプト人は「恵み」ととらえたのに対して、シュメール人は収穫期と氾濫期が重なって、たびたび大きな被害を受けたため、「災難」ととらえていました。
またチグリス・ユーフラテス川は天井川なので、堤防を造っても決壊しやすく、そこで彼らは、縦横に灌漑用水路を引き、流れを分散させ、洪水対策を兼ねた収穫増産を行ったのです。
ところで、このメソポタミア地方は、乾燥地で雨が降りません。
世界遺産のレバノン杉が今では数本しか生えていないように、上流の森林伐採は川に流入する養分を貧しくしてゆきます。
養分豊富な水を供給できても、残った塩分を洗い流す水に恵まれなかったため、どんどん塩分が蓄積されていきます。やがて、水分が蒸発する際、地下に蓄積された塩分が吸い上げられ、塩害を引き起こし植物は育たなくなります。
養分不足でかろうじて生えてきた草も、放牧した家畜に食べつくされ、完全に養分を失って砂漠となり、2000年あまりで文明は滅亡してしまいました。
【ナイルの恵みを捨てた現代エジプト】
エジプト文明は他の文明と違って長く繁栄し、農地は砂漠にはなりませんでした。それは、ナイル川の氾濫により、毎年養分が供給され、また、水浸しになることで、土中の塩分が洗い流されたからです。
しかし、宗主国イギリスは、占領地エジプトでの食糧の生産を増やそうと考え、1902年、ナイル川にアスワンダムを建設しました。これにより、灌漑農地は一挙に76%も増加しました。
しかし、ナイル川の養分はこのダムに棲む魚の糞になって湖底に沈み、農地に供給される養分を失って、肥料を購入しなければならなくなってしまいました。
しかも、乾燥畑作での灌漑では、農地に河川水に含まれる塩分が蓄積します。これを解決するためには給水だけでなく、排水もしなければなりません。そこで、少なくとも年に1回は農地を完全に水浸しにして塩分を地下水に押し込めばいいのですが、そのような余分な水はありません。
エジプトは、この水不足を解消するために、独立後の1964年に、ソ連の援助でナイル川の上流にさらにアスワンハイダムを建設しました。
その結果、農地の肥料不足はさらに深刻になり、大量の化学肥料が使われることになりました。
しかし、化学肥料から必要な養分を取り除くと残りは塩分なので、これが農地に蓄積されてゆくことになります。
このため、現在のエジプトは瀕死の状態になっています。
現在のエジプトは食糧輸入国に転落しており、食糧自給率は63%という有様です。
農業を振興しようとして建設したアスワンダムとアスワンハイダムは全くの逆効果で、エジプト農業を完全に破壊してしまったのです。
【過去の経験に学ぶ】
現代人は過去の経験から学ぶことができます。
これら、2大文明のたどった道は、自然の循環を断ち切って、欲望が過剰な生産追及に向かわせたことにあります。
しかも、過去の失敗を繰り返さないどころか、目先の利益にとらわれて、世界各地で何度も同じ過ちを繰り返していまっています。
自然生態系の循環の仕組みを正確に把握し、ほころんだ部分にいかにエネルギーを投入してゆくかが現代人に課せられた課題なのです。
では、我々の祖先日本人はどのような道を歩んできたのでしょうか?
次回は禿山を森林によみがえらせた江戸時代の循環社会に迫ってみたいと思います。