
こんにちは~ 😀
日本の農業史シリーズ第3弾 
中央集権化⇒徴税システムの成立について考えていきます。
律令制国家では、租・庸・調、雑徭などを平民から取り立てて体制を維持していました。
が、実はその徴税システムが成立するにあたり、「神社・神道」という信仰が深く関係しているんです ![]()
気になる続きに行く前に・・・
いつもありがとうございます 
そもそも、古代の徴税システムはどのようになっていたのか?というと・・・
古代においては、祭祀を主導した豪族がその費用や供物とするために支配民から徴収したものが初穂であった。・・・(中略)最初に獲れた初穂は神に捧げられ、神聖な蔵に貯蔵される。この蔵の初穂は、次の年、神聖な種籾として農民に貸し出される。収穫期が来ると、農民は蔵から借りた種籾に、若干の神へのお礼の利稲(りとう:利息の稲)をつけて蔵に戻す。この循環が出挙の基本的な原理となる。
『神社への初穂が、「租」へと変質』 [1]
古代は、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制でした。(政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶのもこのためですね
)祭事を司り、地域を統治していた豪族に対し、神への感謝とお礼である初穂と利稲を納めていました。
このように各地域の神に納められていたお礼=税を国家の制度として定着させたのが律令国家です。
後に豪族の政治・宗教権限がヤマト王権に剥奪されて律令政府が確立されると、初穂は律令政府を代理する国府に納められる田租(でんそ・「租」)へと転換して、後の租庸調制を構成する1つとなった。・・・・中略・・・
律令国家はこれを国家の制度に定着させ、公出挙と呼ばれる。国衙の蔵に納められた租稲(そとう)が元本になったと考えられており、これを春に農民に貸し付け、秋に利稲を付けて蔵に返される。このような初期金融行為が神のものの貸与、農業生産を外界とした神への返礼として成立していた。
『神社への初穂が、「租」へと変質』 [1]
時の権力者が上記のような徴税システムを整備するにあったって作り出されたのが神社を介した徴税システムです。どのようなシステムか?というと・・・
その年の最初に獲れた初穂は神に捧げられ、神聖な蔵に貯蔵される。この初穂の貢納が、「新嘗祭」という形で神社祭祀に組み込まれる(これがあって初めて、次の年の五穀豊穣を祈る「祈年祭」が成立する)。各神社の「初穂」は、それぞれの神官によって中央に「捧げられる」。こうして、中央から地方へと広がる租税徴収システムの原型ができあがった。
神道祭祀をつかさどる神祇官は、豊年祈願の祭りのほか、祈年祭や収穫を祝う新嘗祭を行うにあたって、まず全国の神社の神官を中央に集め、神に捧げ物(幣帛:へいはく)をした。その後、この捧げ物(幣帛)を地方の神官に配る。天皇が稲穂などの幣帛を、穀物の実りをつかさどる神に捧げるからこそ、神の加護を得られ、これを種籾として農耕に励むことで、豊作が約束される、というのである。言葉を換えると、捧げ物をしなければ豊作も約束されないわけだ。国家から地方へ広がるこのようなネットワークを通じて、神の霊力を宿した種籾が百姓に配られた。
『神社ネットワークから徴税制度へ』 [2]
このように日本の徴税システムは、各地で慣例的に行われていた神社への貢納という週間を利用し、神社をネットワーク化することで全国的な徴税システムの形成を可能にしたのです。力による支配による徴税システムではなく、「神社・神道」への信仰を利用した緩やかな律令制度による徴税システムだった。
つまり、農民にとっては五穀豊穣をお祈りするため、また収穫期の実りに対して神への感謝の想い
が込められたシステムだったんですね 