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農家のための農協~大分県下郷農協

農協は本来、「農業者による農業者の為の組織」のはずですが、昨今では農家の農協離れが進行し、農協自身の統廃合が進むなど、その存在意義が問われています。
そのような中で、有機農産物の産直を積極的に行い、減反拒否、合併拒否の姿勢を貫き、「農協の原点」「農家の為の農協」とも言える活動を行っているのが、大分県の下郷(しもごう)農協 [1]です。
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<概要>
下郷農業協同組合:大分県下毛郡耶馬溪町
組合員499人、340戸、職員115人
事業:貯金27億円、貸付7億円、販売15億円、購買5億円
[本所事業部] 管理部、品質衛生管理、販売産直部(購買 電算)、生産部、営業部、牛乳工場、惣菜工場、きのこセンター、農産工場、選卵場、鶏肉処理場、製茶工場
[下郷農協直販の店]トキハアクロス大分明野センター内、トキハインダストリー南大分センター内、久留米大地店、北九州徳力店
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まずは、下郷農協の取り組みを見てみます。(リンク [2]より引用抜粋)

営農方針
 行政や系統に反発して、少量多品目生産である。ハウスを使わず露地栽培し、機械化せず、家族経営を守っている。大規模化は危険と裏腹である。加工品には添加物、化学調味料を使わない。現在の農産品は180種、230品目である。鶏は3000羽以下しか認めない。人の手でやれる範囲に押さえる。減反はしない。
購買事業
 下郷農協には系統を通じて買うという原則はない。段ボールなどは系統一本で買う農協が多いが、下郷農協の基準は価格であり、安い方を買う。系統は無視に近い。農家に負担をかけることはできない。そこが考え方の根本である。
産直、価格保障
 牛肉の自由化で、外国の農産物が入ってくると、何を売ってもダメで、生産意欲が沸く価格になっていない。下郷農協では農家の価格保障をしている。農家がダメになる農協は、結局農協もダメになる。ほとんどの農家は市場流通の中に生産物を流す。市場は農家の生産の努力を無視し、ものの価値を判断しない。下郷農協は価格保障をしており、値段は積上げ方式により決める(毎年2月頃)。原価を積み上げ、消費者に理解してもらって、買ってもらう。市場価格ではない。市場の評価では農家の生活は守れない。
信用事業
 預金は、普通の農協では運用できず、系統に委ねているが、下郷農協では自主運用している。資金は生産に直結するものに貸すが、それ以外には貸さない主義。こういう方向性を打ち出したときは反発もあった。農家が負担しても返せるように考えることが大切だ。下郷農協に不良債権はない。キャッシュ主義。月末に貸付を完全回収するため、金集めに回る。これが農家に負担をかけないことにつながっている。

農業を維持していく上で、生産の面でも販売の面でも、個々の農家だけでは市場の中で存続してゆくことは難しい。だからこそ協同が必要で、その先導役、まとめ役として、農家の期待に応える取り組みが行われています。
このように農協本来の視点に立った活動が行われている背景とは何でしょうか?

設立
 1948年6月7日設立。1つの村に2農協ができる。小作人・貧乏人の下郷農協と地主・金持ちの第一農協である。地主の支配意識が強い集落なので、貧乏人の農協を潰すために作られたようなものだ。初めは木炭、米、麦を扱う。
産直
 1953年に長野から若者が集団で鎌城(かまき)地区(標高350m)に入植した。第一農協や行政が相手にしないので、結局、下郷農協が相談にのり、彼らの生産する牛乳の販売が経済事業を始めるきっかけとなった。下郷農協で1本10円の牛乳プラントを作る。下郷から出て行った2~3男がいる北九州を中心に販売にいった。牛乳だけ運ぶのではなく、ぜんまい、いもなどの産品ものせて、消費者に届けた。消費者との交流も始めた。今では北九州まで1時間でいけるが、当時は3時間かかった。職員とトラックを使うので、1本10円の牛乳を運んでも採算が取れない。そこで漬け物、ベーコンなどの加工事業に着手した。キュウリのもろみ漬けが炭鉱労働者に爆発的に売れた。下郷農協は「農薬を使わない」「化学肥料を使わない」農業を消費者に提案し、歓迎された。有吉佐和子の「複合汚染」がベストセラーになった頃で、下郷農協の農産加工品が消費者の中に受け入れられていき、毎年30~40%の売上増になった。

 
さらに、最近では農協自身の統廃合が進んでいますが、そこでも独立を貫いています。

農協の歴史は合併の歴史である。大分県では59農協が合併で現在23農協になり、将来11~12農協を目標としている。2000年度で合併推進計画が終わるので、本年度までに合併しないと助成が受けられないと脅かされる。大分県では最終的に17~18農協になりそうだ。経済事業で経営のよい農協は合併せずに残る。合併は農協の生き残りであって、農民のためにはならない。下郷農協は合併に反対するだろうということで、組合長が県北部の合併推進委員長に担ぎ出された。県北7農協のうち6農協が合併したが、下郷農協は臨時総会で合併を否決した(1991年)。合併すると中津が本所となり、従来の本所が支所となり、重要問題になると本所(中津)にお伺いを立てなければならず、非常に不便になる。組合員が相談にきても対応できない。昔の本所の機能が維持できない。合併すると事務も簡素化されるから、当然リストラをする。組合員の農協離れが進む。最近、合併農協から下郷農協に入りたいという人が増えている。「下郷農協」は昔からの名前で、「JA」とは名乗らない。下郷農協は経済事業中心にやっているが、合併する農協は貯金と共済が中心で、農家が潰れても、農協は残るという政策だ。現在の市場価格を前提とし、2割を農協の手数料とすると、農家の手取りは僅かになる。農産物の市場は崩壊し、そのうち卸という機能は消えてしまう。合併を促進しているのが県であり、農協中央会であり、補助金と一体なので、合併を拒否すれば、農家への助成事業は制約を受ける。

協同組合設立当時、全国で沢山の(13000カ所くらいの)農協が作られましたが、明確に土地を確保した者達が中心となって作った農協はなかなか見出せませんでした。
>農協・農業協同組合は、誕生したその日から、実は本当の意味での「協同組合」ではなかった。
>実際には、農業者の意識が高まって議論を尽くし、農業者自らが主体的な組合員となって結集に動いて農業協同組合を作り上げたものではなく、農業会の資産を含めすべてをそっくり引き継いだ形で、政府が用意したひな形に沿って、農業者を組合員としてはめ込むようにして農協が誕生していくのだった。
リンク [3]より
農地解放によって土地を手にした農家自身が集まって作ったのが下郷農協であり、組合はその最下層に立って支えてゆくという精神が、設立当初より貫かれています。
下郷農協では、組合員のつくった作物ならば、たとえニンジン1本でも買い取るといいます。その姿勢が、組合員を中心とし、「生産する」ことを第一の出発点とした運営に繋がっています。
農家自身が自らの手で立ち上げた組織=皆が当事者であることが、産直を始めとした事業を切り開き、また、これからも存続してゆく原動力となるのではないでしょうか。

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