こんにちは、こまつです。
現在、農業への関心は、日に日に高まってきていますね。私たちの農園にも、たくさんの若者が農業研修に訪れ、農業体験のお客さんも少しずつ増えてきています。

とは言え、全体的に見れば、現在の農村社会は、まだまだ活力が低迷し、閉塞状況にあるのが現実です 🙁 農村を活性化させるためには、個々の農家の活力再生が不可欠なのだと思います。
農家の活力再生を考えるにあたり、以下、「次代を読む」から引用します。
万人が属している社会を統合する仕事は、万人によって担われるべきである。それに本来、社会を変革し、統合してゆく仕事ほど面白い仕事は他にない。その大切な社会統合の仕事を、国民に選ばれた訳でもないのに、官僚や学者やマスコミが独占し、自集団の利益を第一にして甘い汁を吸っているという仕組みが、根本的におかしいのだ。そのことに気付かずに、それを放置して彼らに任せてきたから、こんなに行き詰まってどうにもならない社会になってしまったのである。
(中略)
集団を超えた次元に存在する社会を統合(もちろん変革も)する為には、単独の集団原理とは全く異なる原理の統合組織が必要なんだということに、未だ誰も気付いていない。しかし、万人が参画できる、社会統合組織の条件は簡単で、二つだけである。社会統合は、全員が担うべき当然の役割=仕事だとすれば、その仕事に対してそれなりの収入が保証されなければならない。しかも誰もが何らかの専業に就いているとしたら、この組織は誰もが副業として担うことが出来る半事業組織でなければならない。
(中略)
それに、全員の社会を、特定の思想に固まった集団が動かすというのは、大きな間違いである。万人の属する社会を導くことできるのは、万人の認めることのできる事実の認識(=科学)だけであって、特定の思想などに社会を統合する資格はない。これが社会統合組織のもう一つの条件である。
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自分たちで社会の事を考え作っていく、社会統合の仕事ほど面白い仕事はないのだとすれば、素直にそこ(=社会統合)に向かうことこそが、活力再生の答えだと言えます。
「活力を再生するには?」という思考そのものが、実はズレているのかも知れませんね 🙄
かつての農村は、文字通り村落共同体であり、地主も小作も自ら主体的に、自分達の村をどうする?と考え運営してきました。しかし、戦後の農地解放によって、地主の土地が小作に切り売りされてしまいました。これにより、日本は大規模営農ができなくなり、国際競争力が低下したと言われています。

しかしもっと重要なことは、土地の切り売りによって村の規範が解体され、共同体そのものがバラバラの個人に解体されていったということです。地主も小作も、全員が自らの私権追求に埋没し、主体的に村全体のことや、ましてや社会のことを考えようとする人など、誰もいなくなってしまったのです。
それでも、私権追求そのものが活力源として働いていた時代ならまだよかったのですが、’70年の貧困の消滅と共に私権圧力が衰弱すると、人々の活力も急速に低下していきます。農業は土地(=私有地)に立脚するがゆえに、自分からみんなへの転換が遅れ、そのために社会の期待が感じられずに閉塞してしまう、それが現在の農村の姿だと思います。
従って、農村の活力再生のために必要なのは、人々の主体性、言い換えれば、農村の自主管理を取り戻すことです。そのためには、土地の私有意識を少しずつでも解体していくこと、そしてその必要性を導く理論と、それが社会の期待であるという認識が必要です。具体的には、農地の使い道をみんなで考え、実践することが出来れば、一歩も二歩も実現に近づけるでしょう。
とは言え、社会を統合する為には、それを導く理論が必要になる。しかし、個々の即自的な観念(頭の中に内在する本源価値を言葉化しただけの、古代宗教や近代思想)では、相互対立を孕んで統合できないことは明らかであり、万人が認めることのできる事実だけの理論体系(=科学)が、不可欠である。諸々思想=即自観念を超えた事実の体系こそが、社会統合の要とも、鑑ともなる。
物の豊かさから心の豊かさへ、人の役に立つ仕事がしたい、喜んでもらえると嬉しい・・・、私権に代わって、今、人々が本当に求めているのは、共認充足に他なりません。「顔の見える農業」「若者の就農」「高齢者の役割」「子どもたちの教育機能」・・・、農業には、共認充足を実現するための多面的な機能が備わっています。その期待感があるからこそ、今、農業への関心が高まっているのではないでしょうか。その意味でも、活力ある農業・農村は、社会の期待そのものでもあるのです。
農村には、村の寄り合いや、~委員会など、そのような共認形成の場は今も残っています。しかしそこでは、お互いの私権の折り合いをつけることに終始し、それでは閉塞するばかりです。

今必要なのは、構造認識や社会の期待を掴むための勉強、さらに、農村の自主管理を実現するための共認形成の場なのではないでしょうか。