
「漫画『玄米せんせいの弁当箱』作者・魚戸おさむさんに聞く」から最先端の意識潮流と充足基調の芽を拾い上げることにします。
2000年の雪印事件を以降、食⇒農への関心、社会的期待は高まってきている。日本の食をどうするか?安心安全な食生活が揺らぐ中、食・農に対する関心は危機意識を通り越し、農や食が本来もつ多面的価値=充足可能性(答え)に収束している。そうした意識状況の上で、こうした農・食の本質に迫る漫画がうけているのだと思います。
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まずは、新聞記事の紹介から。
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農業や環境問題から食育まで、真っ正面から「食」を描いた漫画がある。
作者の魚戸おさむさんは「いまの食生活のままだと、日本に将来はない。多くの人に、そのことに気がついてほしいと思いながら描いている」という。作人に込める思いを語る口調は、次第に熱を帯びていった。
食べ物や家庭の問題、食の裏側に隠れていることを漫画で具体的に描きたいと考えました。でもグルメものじゃないので派手さがない。無理かなと思っていましたが、編集長も編集者も「おもしろい。いいじゃないか」と。
タイトルには「玄米」という言葉をぜひ入れたかった。玄米にはいっぱい栄養素が含まれている。主人公の先生にもいろんな要素が含まれていて、可能性を持っているという意味を込めました。
「弁当箱」と付けたのは、弁当のふたを開けたときのワクワク感を出したかったから。
畑仕事の風景や農作業の道具を描く資料にしたのが『写真で綴る 昭和30年代 農山村の暮らし』です。ここに出てくる人たちの笑顔を見ると、楽しそうで、みんな生き生きとしている。
もう一冊お薦めしたいのが『ここ 食卓から始まる生教育』。著者のひとりの内田さんは助産師さん。性教育の話から入っているのですが、性教育は生教育というのが内田さんの持論。生きることを突き詰めれば食につながっていく、家庭の食卓が子供の身体と心を育てると書かれています。
長崎県佐世保市では農家の方が「子供のうちから教育していかないと、この先の日本はたいへんになる」と、保育園で土づくりをさせ、元気な野菜をつくらせています。そうやって食べ物のありがたさを教えている。
『玄米せんせいの弁当箱』は、そうした人たち、さらにその人たちから紹介してもらったみなさんのおかげで描けています。
食を真剣に考えている人たちに生の声を聞くと、胸に響きます。この響いたものを、ぼくの胸の中だけにとどめておくのはもったいない。漫画を読んでいただくことで、連鎖反応が起きないかなと期待しているんです。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「玄米」という可能性。「お弁当箱」の期待感。
作者は、この充足基調の中での読者たちの連鎖反応に期待している。
前より、「食は本来、保守的であるべきもの」と言われてきた。その心は、その国の気候、風土で培われたものが力を発揮する。何千年の間、この気候、風土で生活してきた日本人には、それに適応できる肉体的、精神的遺伝子が組み込まれている、、、というもの。
安定のため、本来の食の在り方、先人たちが築いてきた文化=生き抜く術に改めて価値を見出し、それを守ろうとするという流れが今強く現れてきた。
ではどうしたら作者の求める連鎖反応が形成できるか?
作品の読者が得た心の響きをまた自分の心の中でとどめておいては、「もったいない」と思った作者と一緒である。作者、読者が昔の先人たちが気付いた文化をただなぞって感嘆しているだけでは、今の状況は改善できない。
必要なのは、連鎖=繋がり。その人の繋がりの中で現代の食文化を築くこと。それはバラバラの個々人では築けない。今を生きる人と人が寄り集まり新たな集団を形成することで、食文化の継承 ⇒ 現代の食文化の形成 も実現される。
その為に必要なのが新理論。
>求められるのは、危機状況を突き抜けてゆく確かな見通し=この危機を導き出した近代市場と近代思想を根底から突き抜け、乗り越えていく新理論である。 [1]
例えば、この「充足→安定・保守収束」という認識があるから、一見バラバラとも思える意識潮流(個人)も実は、大きな時代の動き(集団)=可能性として感じ、共に踏み出せることができる。