『農業を活性化するには?』というテーマについて『るいネット』の秀作投稿を紹介しているシリーズも第三弾になります。

今日は『“活性化”とは、みんなが当事者になること』をご紹介させていただきます。
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>交流会を実際に運営していく(=場をつくっていく)ことの引力は想像を絶する。(リンク [1])
地元の町づくりの活動に何度か参加したが、町づくりも交流会作りも、どちらも自分たちで作っていく活動なのに、町づくりの活動ではこれほどの活力は感じられない。それに、町づくりのイベントをどれだけ重ねても、町は一向に活性化せず、すぐに行き詰まりを見せる。
町の活性化といえば、人がワイワイと集まり、賑やかになること。それに伴い経済効果が期待できること、とこんな感じだろう。しかし、市場経済の価値観をもとにしたこの発想自体が、もはや壁にぶつかり、出口を見失っているのだと思う。町づくり運動の問題とは、市場の限界そのものだとも言える。
交流会運動の活力を見習い、町の活性化とはどういうことか、根本的に見直す必要がある。町の活性化とは、そこに住む人々が、まさに活き活きとして毎日の生活を送ること、という極単純で、当たり前のことなのだと思う。だから、毎日の生活と無関係なイベントなど、どれだけ企画しても、活性化につながらないのは当然だろう。
従って、どうすればみんなが活き活きと生活できるのかを、みんなで考えていくこと、そういう場(共認域)作りが求められているのだと思う。そのように、自分たちで共認域を作っていくことこそ、社会の当事者として最も充足できる活動だし、みんなが当事者になることこそが、本当の意味での活性化につながるのではないだろうか。
共同体社会は農村ではそもそもぶら下がって生きることなど出来ません。
みんな集団に係る外圧を課題化し能力に応じて役割を分担している。
いわば複数の細胞からなる生命体のように、集団の構成員が当事者として役割を果たすことが充足に繋がっているのだと思います。