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農業の歴史を紐解きながら、循環型社会を考える 3.農業の始まり~メソポタミア文明その1

こんにちわちわわです。
meg3さん、tyodaiさんに引き続き農業と社会シリーズを続けます。
メソポタミア文明ってご存知ですか?場所は、チグリス・ユーフラテス川に挟まれた三角地帯、現在のイラクのあたりです。ここで、世界初の文明が誕生しました。
mesopotamia1.gif
紀元前5000年以前、ウバイドという人種がこの地にいて、小規模な農業を営む小集団が点在する集落のようなものができていました。このウバイドを農業の紀元とする説が多数ありますが、小集団が食べていけるだけの食糧を少量多品種栽培するこの農業は、人口が増加したために狩猟採集から農業に転じたというものではなく、採集できるだけの自然を持たなかったゆえ、栽培という人間の知恵を駆使して行った結果だと思います。しかしながら、この頃既に灌漑施設も持っていたというから驚きです。
しかし、紀元前5000年頃この地にシュメール人が登場し、ウバイド人は地上から姿を消します。
シュメール人が初めて都市や文字や文化を作ったことから人類初のメソポタミア文明が登場することになるのです。
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以下The Purple Chamber of World History [1]さんより
【雨の降らない乾燥地に文明が誕生】
 人口の集中、交易センター、工芸品の製造など定住に特徴的な機能を集約した空間が、「都市」ということになるとすれば、都市とよぶにふさわしい場所が最初にあらわれたのは、ティグリス川とユーフラテス川の流域、「メソポタミア(古代ギリシア語で川の間の意)」とよばれる地域の最南端だった。
 この地には前5000年頃人が住みはじめた。彼らはおそらく、河口という立地条件につられて交易のために住みついた人々であろう。というのも、ここには資源といえば、肥沃な泥、チグリス・ユーフラテス河の水、太陽、そして瀝青と呼ばれる天然のコールタールしか無い上に、トルコやイランの山中よりもずっと乾燥しており、ムギの生育に必要な冬の雨が降らないためである。
 そのため、作物をつくるには水路を引いて耕地に水を行き渡らせなくてはいけなかった。春に上流の雪どけ水で川があふれ、収穫目前の畑が水びたしになるので、洪水の方向をコントロールする必要もあった。水をやりすぎると、地下水位が上昇して塩分が地表にふきだしてくる塩害をひきおこすため、排水設備も不可欠だった。
 このように、メソポタミアでの農業は共同労働と土木工事が必要な大変な仕事だった。ただし、上流から運ばれてくる土は肥沃だったので、収穫はとてつもなく大きかった。最盛期には、まいた種の70倍以上の収穫がえられたという。AD1000年頃のヨーロッパで、まいた種の5倍ほどの収穫だったことから比べると、けたはずれの生産力だったことがわかる。
 集団労働の必要と、大きな収穫によって集落の人口は増大した。穀物を輸出品とする交易も活発になり、まわりからも人が移り住んできた。前3000年頃には、半径70~80kmの狭い範囲に、ウル、ウルク、ラガシュ、ニップルなど、数万人規模の都市がいくつもたちならぶメガロポリス地帯が出現していた。【引用終わり】
シュメール人は元々遊牧部族で、いち早く父系転換した部族といわれています。
メソポタミアの婚姻制 [2]
メソポタミアの婚姻制2~持参財って?~ [3]
彼らの出所は不明ですが、恐らく初めてパンドラの箱を空け、略奪闘争に突入した部族と思われます。
楔型文字、暦、医療、宗教、法律、数学、交易など、現代の技術のほとんどが突然出揃ったのは不思議というほかありません。
シュメール人ってどんな人たち? [4]
本格的な農業はこのシュメール人が征服民を使って強制労働を強い、単一作物を大規模に展開したのが現在の農業生産の始まりだと考えます。

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