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農薬の歴史!!!

Posted By shoji On 2009年5月26日 @ 1:43 AM In 4.[農]と健康(=安心・安全) | 5 Comments

みなさんこんにちは :D
miniさんの記事で一見良さそうな肥料のイメージがガラリと変わったところで、続いてもっと危険な農薬の歴史について考えて見ましょう
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ありがとうございます それじゃあ一緒に勉強して行きましょう
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そもそも農薬ってなに?
植物を育てていると、病気、害虫、雑草、ネズミなど植物を害する生物が発生しますよね。人が栽培している農作物等の植物をこれら有害な生物から保護し、収量や品質を維持し、また商品価値を高めるなどのために使われるものを「農薬」といいます
じゃあ農薬ってどうやって生まれたの?
人類が田植えをして稲を刈って収穫するという自ら生産するずっとずっと前は、イネはもともと南アジアの低湿地に自生していました しかし、まとまって生えていたのではなく、あちらに2、3本、こちらに4、5本と生え、それを昔の人は苦労しながら集めていたと考えられます 野生のイネは、穂につく粒が少なく、また粒も小さく、味も劣っていたと思われます。長い時間をかけ、たくさん粒をつける種類、粒の大きい種類、味のよい種類をかけ合わせて、現在のイネの品種が生み出されてきました
そうしたイネが点在して収穫できる量が少ない⇒田んぼに集約する⇒害虫や雑草も集まる⇒被害を受ける⇒どうする???⇒農薬に収束
<番外編>
西暦807年に書かれた「古語拾遺」という本に害虫に関する記載があります。当時の日本の稲作ではウンカとアワヨトウが主な害虫だったようです。伊勢神宮での祈祷により、虫が蝶に変化して飛び去り(アワヨトウが成虫になったのだろう)またハチにより殺されたことを喜んだ、という文があります。当時から有用な天敵としてハチやヘビ(ねずみを食べる)は認識されていたようです。また山椒や塩などを混ぜ合わせた物をまけという記載もあり、日本で最初の農薬とも言えそうですが、効果は全く無かったはずです。まぁお祈り程度ってとこでしょうか?(笑)

日本の農薬って?
日本では1670年(寛文10年)に鯨油を使った注油法が発見されています。この方法は、まず油を水田に注いで水田水の表面に被膜をつくります。次にイネを笹竹などで払って害虫をそこへ落とします。落ちた虫は油が体に纏(まと)わりつき気門をふさがれ窒息死してしまいます。油は主に鯨油でしたが菜種油などの植物油が使われることもありました。
しかし、大昔から病害虫防除に薬剤は用いられてきましたが、効果がないか非常に弱く、大量生産することもできず、一般に普及することもありませんでした
じゃあ現在のような化学農薬はいつから?
化学農薬の開発は1800年頃からヨーロッパアメリカで始まり、1930年代から急速に進歩しました。これは第二次世界大戦を目前にして、除虫菊やデリス根など、当時の農薬の原料となっていた資源をアフリカやアジアから輸送することが困難になったためといわれます
『戦前』
一方日本では、明治から大正時代にかけて農薬の技術輸入に努め、1891年に除虫菊粉が用いられたのを皮切りに・ボルドー液・青酸・ヒ酸鉛・硫酸ニコチンなど諸外国で発明されていた主な農薬は日本に導入されました。また国産化にも着手し、1917年に日本初の農薬製剤工場が操業を開始し石灰硫黄合剤が作られました。また、日本初の農薬合成工場(現在の三共(株))が1921年に操業しクロルピクリンを作り始めました。ついで有機水銀剤も導入されましたが、農薬の主流は、除虫菊、ボルドー液、塩素酸塩類などの天然物や無機化合物でした。農薬の用途も果樹や野菜の病害虫防除で、イネの病害虫防除に適した薬剤はありませんでした。DDTについては第二次世界大戦中に軍部が情報を得て防疫用に研究を開始しましたが、原料の入手難から実用化に至りませんでした
『戦時中』
日本では農薬の原料に事欠くようになりました。農薬は配給制となりましたが、実際にはあまり出回っていなかったようです。当時、農薬が農作物の増産に不可欠であることは認識されていましたが、その原材料である銅や硫黄などは兵器の製造にも不可欠であり、農薬用にはまわされにくかったのです。農村の働き手が戦争にかり出されたことと相まって、農業と農薬の進歩は全く止まってしまい、ただでさえ苦しい食料事情に拍車をかけてしまいました。
『戦後』
DDTを皮きりに、BHC、パラチオン、2,4-PAなど多くの化学農薬が導入され、日本の農薬事情は様変わりしました。その結果、このままでは1000万人が餓死するといわれた終戦後の悲惨な状態を克服するのに、農薬は肥料とともに大きな役割を果たしました。その後も、新しい薬剤が次々に導入され、農薬は食糧の安定生産や農作業の省力化に大きな役割を果たしました。
一方で戦後の農薬の急速な普及により、農薬による事故や事件も多発し、世論の農薬を見る目も厳しいものへと変わりました。徐々に高まっていた農薬の毒性に対する関心と、明らかになってきた自然への影響などを考慮して、農薬を登録する際に各種毒性試験や自然界への残留試験などを義務づけた法律(農薬取締法)大改正により使用禁止農薬の拡大が行われました。
このように農薬がなんでどのように生まれてきたのか?分かって頂けましたか?
戦争によりそれまで天然物や無機化合物であった農薬が作れなくなり、貧困の戦後には農薬の材料もなく収穫量も少ないので、ますます貧困になる
⇒アメリカからの化学農薬に頼らざるを得ない状態だったんですね
今回で農薬の歴史を抑えたところで、明日は農薬についてもっと深いところまで追求してみたいと思いますので期待しててください


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