今まで野菜の種は、種屋さんから買うのが当たり前になっていましたが、農園では昨年あたりから少しずつ自前で種採りを始めています。最初は、カボチャやナスなど種を採りやすい野菜から挑戦していますが、これもなかなか細かい作業で大変なものです。上記の写真はナスの種です。果肉から種を採って水に浸けています。比重が重い種は下に沈んでいくので、上澄みを流して水を入れるの繰り返しで大まかに良い種の選別ができます。
まだ、野菜の自家採種が盛んだった明治頃の書物には、野菜の栽培方法として、野菜ごとに「種類」「性質」「栽培法」「促成法」「病虫害」「貯蔵法」などの項目と並んで、種子繁殖の植物にはほとんど「採収法」として種の採り方が必ず載っていたそうです。かつて野菜栽培というのは、ただ種を蒔いて収穫するだけでなく、自家採種して品種改良していくことまですべて含んでいたのだということです。
そうやって、その土地に適応した野菜の品種や食文化までもが生み出されていったというのは、素晴らしいなと思います。僕たちも少しずつですが、自慢の種や野菜と言えるものを育てていきたいなと思っています。
守りたい地方野菜と食文化-固定種の復活を夢見て-http://noguchiseed.com/hanashi/kouen_2.html [1]より引用
はじめに
固定種の種が種苗店の店頭から姿を消して、もう3,40年になります。今では、スーパーや八百屋の店先に並ぶ野菜は、ほとんどF1で占められ、家庭菜園用の小袋も、F1ばかりが並ぶようになってしまいました。
F1は、均一で揃いがよいので、指定産地の共選で秀品率が高く歩留まりがいい。従って、共選を進める産地JAでは、常に最新F1品種の検討が欠かせません。当然、種苗メーカーも、産地の指定品種に選ばれるために切磋琢磨しています。いったん市場に受け入れられると、大産地を自社品種で支配できるし、ブランド化して全国シェアも高まるのですから、極めて当然の話です。
反面、農業人口の高齢化と後継者不足、また流通の進歩によって、外国からの輸入野菜が市場に氾濫するようにもなりました。F1化し、規格が単純化した日本市場は、近隣諸国にとって格好のターゲットになったからで、使われている種は、どれもみな日本の種苗メーカーが日本の大手市場向けに育成し、輸出したF1なわけですが、これも、当然といえば当然すぎる話です。
現在、スーパーの店先に並ぶ野菜は、国産と銘打っているものが圧倒的です。では、年々輸入量が増加している外国野菜は、どこで消費されているのでしょう? これも当然、業務用、外食産業です。今や外食産業は、大型化した市場の、最大の顧客なのです。どこの国内産地も、外国産地も、外食産業のニ-ズに合わせた品種の選定が必須条件になっているのです。
種苗メーカーや、産地指導にあたる農業試験場の人の話によると、今、外食産業の要求は、「味付けは我々がやるから、味の無い野菜を作ってくれ。また、ゴミが出ず、菌体量の少ない野菜を供給してくれ」と言うものだそうです。こうして、世の中に流通する野菜は、どんどん味気無くなり、機械調理に適した外観ばかりの食材に変化しているわけです。
こんな状況の中で、数少ない本物指向の消費者、昔の美味しかった野菜の味が忘れられない高齢者の方々に支持され、消滅した地方市場に代わって台頭した「道の駅」などの直売場で人気を高めつつあるのが、地方の伝統野菜というわけです。
■固定種であってこその地方野菜
野沢菜の元が天王寺カブだったというのは有名過ぎる話ですが、このように野菜が旅をして変化していった例は、新潟のヤキナスの元が宮崎の佐土原ナスだったり、山形の庄内ダダ茶豆は藩主の移封によって新潟から運ばれたものだという話など、枚挙に暇がありません。と、言うより、もともと地方野菜とは、よそから伝播してその地の気候風土に馴化した野菜ばかりなのだから当然です。自分で種採りしてみるとよくわかりますが、植物が異なった環境に適応し、生育して、土地に合った子孫を残そうとする力は、真に偉大としか言い様がありません。よくできた野菜を選抜し、種採りを続ければ、普通三年も経てばその地やその人の栽培方法に合った野菜に変化していきます。もし土地に以前からあった野菜と交雑したりしてもそれはそれで、八年も選抜していると、雑種形質が固定して、その土地に新しい地方野菜が誕生したりします。これこそ人間が移動手段を提供したために、旅をしながら遺伝子を変化させ続けて来た、野菜本来の生命力の発露なのです。生命にとって進化は自然であり、停滞は生命力の喪失です。変化を失った生命は、既に生命とは言えないのです。気候風土や遭遇する病虫害に合わせ、己自身のうちなる遺伝子に変化を促し続けて来た地方野菜こそ、生命力を漲らせた、野菜本来の姿なのです。