こんにちは。
お米の一人一年あたりの消費量は、‘60年代のピーク時には120kg近くあったのですが、最近では約60kgへと半減しています。その理由はいくつか考えられるのですが、食生活の和食中心→洋食への変化とともに、朝にお米のご飯を食べる習慣がなくなってきたことも、要因として大きいと思います。
そのことについて、ライフスタイルの変化だけでなく、「お米の味」そのものにも原因があるのではないか、という意見を目にしましたので、ご紹介したいと思います。
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よろしくお願いします。
ありがとうございます 
私は、朝ご飯で「米」を食べなくなったのには一つの理由があるような気がしてなりません。
確かに共稼ぎの夫婦が増えたことで、朝ご飯そのものを作る時間がなくなってしまっていることもあるでしょうし、通勤に時間がかかるため、朝が早くてパンならまだしもご飯をゆっくりとる余裕がないということもあるでしょう。しかし、時間がないにしても、朝ご飯に「食べるに値するだけの魅力」があるとしたら、やはり食べるだろうと思います。
ただ単に、朝ご飯に魅力がないというのなら、まだ救いがあるような気がしますが、知らず知らずのうちに心の底で「食べたくないから食べない」と思い始めているとしたら事態は最悪で、もしかしたら、それが<ご飯の味>のせいかもしれないとしたら、日本のご飯文化がひっくり返ってしまうかもしれません。しかし私は、やはり<ご飯の味>にも原因があるとしか考えられないのです。
夜九時に寝て朝六時におきるという健全な生活をしている人は、私も含めほとんどいないと思います。おそらく夜遅くに夕食をとり、深夜まで起きていて、疲れが取れていないのに目覚ましで無理に身体を起こしているのではないでしょうか。だとすれば、昨日の疲れも取れずに身体も目覚めきっていない朝から食べたいと思えるご飯とはどんなものでしょう。
同じご飯でも、艶やかな炊きあがりで、柔らかい上に喉越しがよく、アッサリとした味のご飯なら、起きていない身体でも食べることは出来るでしょうし、お気に入りのおかずがあったら、食べてみようという気になるかもしれません。しかし、ギラギラとしたツヤでしっかりとした甘味があり、粘りも強くて食べ応えがあるご飯だとしたらどうでしょう。いくらお気に入りのおかずだったとしても、絶対に食べようとは思えないはずです。
つまり、食べたくない理由は<ご飯の味の濃さ>ではないかと思うのです。
これを品種でたとえるなら、前者が、ご飯だけど「味がない」、「もの足りない」とマイナスに評価されることが多い”ササニシキ”で、後者が「日本一美味しい米」として知られている”コシヒカリ”なのです。
この説明で、朝ご飯を「食べない」理由というより、「食べられない」理由が、ほんの少しだけ分かったように感じませんか。
(『今日はこの米!/生活人新書』より)
なるほど・・・
「美味しいお米」が人気があるのは分かりますが、お米単品で売ろうとしたり、優劣をつけたりして、いつのまにか朝ご飯に適したお米が出回らなくなってしまったのかもしれませんね。
お米を作るにも、販売するにも、そこまで踏み込んで提案していきたいと思います 