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用意周到に仕組まれた、「水資源の私物化」

「湯水の如く○○を使う」という言葉に垣間見られる日本人の感覚とは、「水資源は尽きせぬもの」、ということです。それ程に、豊かな資源として捉えているということでしょう。
もちろん、急峻な河川が多く台風の襲来もある日本では、治水は国を治めるための大いなるテーマでもありました。信玄堤 [1]などは、傑出した好事例です。
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国土交通省 甲府河川国道事務所の「信玄堤」より拝借しました。
地図上にプロットされたものを見るにつけ、力技ではなく、水の勢いに応じて氾濫原に水を遊ばせて和らげる技などには、自然に同化した先人の智慧を見る想いがすします。
また、食糧増産 [2]を実現するために行った開墾 [3]や農業水利の確保などは、国を挙げてなされました。
これらの事業を通じて芽生える意識とは、治水も利水も「みんなのためのもの」という想いである事は、想像に難くなありません。


●私物化を裏付ける決議
ところが、それに比べると

 2000年にハーグで開かれた「世界水フォーラム」ではなんと,【水は人間にとって必需品であるが,権利(人権)ではない】を採択した。採択したのは国連と世界銀行である。もちろん後押ししたのは,グローバル企業と営利目的の水道企業。
 「必需品であるが権利でない」のだから,金のある者,金を出す者は水を手に入れられるが,貧乏人は手に入らなくなる。それが経済の原則だ。(リンク [4]

という内容は、自己チュウの最たるものです。

1995年、当時世界銀行の副総裁であったイスマル・セラゲルディンは「二十一世紀は水をめぐる争いの世紀になるだろう」と予測しました。(「水の世紀とはなにか [5]」)

といいますが、何のことは無い、『確信犯』だからこその予測なのでしょう。
普請 [6]という概念が公共という想いを育み、健全な社会を下支えするのに対し、これじゃ、
「オレのモノなんだから、それをオレがどうしようが、オレの勝手だろ」 この原理が世界を破滅に導いている [7]
そのものではないでしょうか?
 
その決議に、国連と世界銀行が関与しているという事実を見据えておかないと、日本もその片棒を担ぐことになりかねません。
真の国際貢献を目指すなら、市場原理派の尻馬に乗って自己チュウ路線を進むのではなく、先ずは食糧や水などの生存に関わる自国の根本問題を最大限解決した上で、彼らが自立のために本当に必要としていることをサポートすべきだと思います。

[8] [9] [10]