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日本の農業が危うい、どうする?

●食を外部依存することの危うさ
生命の源となる食料を外部依存することの危うさを、中国産毒入り餃子問題は浮き彫りにしました。日本の通関、検疫は全く機能しなかったし、原因追及も相手任せで侭成らないとしたら、国家の体をなしているといえるのでしょうか?
●事態は急を要する日本の農業
一方、担い手の高齢化と後継者不在が顕在化してきていますから、国内の農業生産基盤も弱体化しています。それは、農産品は幻想価値による水増しが殆どないので価格が低いということと、食糧難の時代のような供給者への期待と評価がないということが原因で、新たな就農者が生まれないからと思われます。
[1] ←クリック
農業就業人口の年齢別内訳 [2](財・日本経済教育センター) より
[3] ←クリック
わが国農家人口と農業労働力の将来推計 [4] より
[5] ←クリック
新規就農施策の展開について [6] より
資料:農林水産省「農業構造動態調査」、「農業センサス」
注1:「離職就農者」とは、他産業への勤務が主から農業への従事が
   主になった人。
注2:平成10年以降は「販売農家のみ」の調査値である。

就業人口の絶対数が減少していることに加え、60歳超え人口比率が約30%ということは、新たな就農者が増加しないことには、10年も待たずに日本の農業は壊滅的なダメージを受けるということを示しています。
            
 


●生産場面を目の当たりにすることが、感謝の源
日本でも、1950年頃までは農林水産業の従業者比率が約50%( リンク [7] )でした。親族や友人知人関係まで拡げたり、地域社会を見渡せば、身近なところで一次産業は営まれていましたので、本能を直撃する形で食物生産の厳しさや喜びを理解することが可能でした。
だからこそ、感謝の念をもって食にあずかりました。
●感謝と評価は、活力源
戦中・戦後の貧しい時代にあって、大方の大衆は、わずかな面積の庭先でも手頃な野菜などを自家栽培していましたので、専業農家の苦労ほどではないにしても、それなりに栽培技術を学ぶ機会がありました。
隣人から「よくできてますねぇ」と云われようものなら素直に嬉しいし、お裾分けして「おいしい」という評価をもらえれば、さらに嬉しい。そのために、野菜屑を使った堆肥を工夫したり、上手に栽培する人の話に耳を傾けたりもしました。日常生活の中に、追求や学びの動機があることに意味があったと云えます。
●100%消費者が大半、というのは異常事態
ところが、今や、一般大衆の殆どが純粋な消費者に成り下がってしまったことに異常性を感じます。こんなことは、人類500万年の歴史にあって始めてのことではないでしょうか?
丸腰の初期人類が外敵を恐れて隠れ住んだ洞窟から、弓矢の発明を契機にお天道様を拝めるようになるや、[採取・狩猟生産]→【育種】→[農耕・牧畜生産] と一気に生産性を向上できたのも、自然を対象化し同化することで自然の摂理を読み解いてきたからこそでしょう。
一方、飽食の時代ともなれば、当たり前のごとくひたすら消費する側に回って、安全・安心・安価を要求するだけでは、まともな生産者を育てることはできません。これが、日本の農業をだめにした究極の原因なのではないでしょうか?
●どうする?
・食の供給という根源課題の担い手に対する評価が必要
・評価に値する経済基盤が必要
・市場に社会統合機能がないなら、それに代わるシステムが必要
ならば、国土環境保全や人材育成などの類的(=みんなの)課題を同時に担い、その成果・評価に応じた支援金を出すというシステムを構築することで解決したらどうでしょうか?
単なる補助金バラマキ行政では更なる衰退を招くだけですが、「農山漁村活性化プロジェクト」なども、『農』を教育現場として活用し、その成果に応じた支援金を交付するようなシステム化がなされれば有効なものになる可能性があるかと思います。
by びん

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