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近代化で失ったものを伝える教育 ~農業は近代化に負けない

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田植えのころ…男の人が型枠を回して型をつけたあと、早乙女たちは苗かごを腰につけ田植えする。一年のうちで最も忙しいときで、子供たちも手伝いにだされる。仕事の間には、ひと休みして世間話に話がはずむ。千畑町郷土資料館蔵 [1]
農業という営みの目的は、所得増大だったのだろうか。
NPO法人『農と自然の研究所』代表の宇根豊氏(「天地有情の農学」著)が1995年に平均年齢72歳の百姓にアンケート調査をしたことがあるそうです。
それを紹介します。

「あなたの百姓としての人生で、いつごろが一番楽しかったですか。その楽しかったことは何だったのですか」
40人ほどの回答で圧倒的に多かったのは、
「昭和30年代の前半が一番充実していた。そのわけは、家族全員で仕事ができたから」。
いまもっとも失われているものこそ、人間の幸せの源泉ではなかったのか。

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子供たちの農業体験を指導しながら、年寄りの百姓はいつも思い出すという。「こんなに大勢の人間が田んぼにはいるのは30年ぶりだ」。子供たちが田植えを手伝わなくなって、もう30年たったのである。子供たちに農作業を手伝わせる必要がなくなることは進歩であると、当時は考えていた。それがいま、再び小学生たちに田植えを、しかも手植えを体験させている。
「近代化とは何だったのだろうか、と ふと考えるんだ」 その百姓は最後にこういった。
「世の中、確かに良くなった。だけど失ったものもいっぱいある」
そうなのである。何を得たのか、何を失ったのか、それを教える教育が成立していない。
それを農業体験学習は伝えるのだ。これほど強烈な教育が他にあろうか。
日々、近代化精神で洗脳されていく子供達に、「世の中そんなもんじゃないよ。カネにならないものだって、こんなに素敵じゃないか」とささやきかける「場」と「時間」が、まだ百姓仕事には残っている。
だから、農業は近代化に完全に負けることは無い。

“強烈な教育”とは、①田植えから収穫までの農作業を通して、自然圧力や仲間の期待を対象化することであり、②その過程で 心の中に生まれる充足感=“人の幸せ”を教えること、なのだろう。
農業体験学習は、たくさんの仲間、皆がいないと成立しない。皆の課題(現実課題)に身を置けば「どうする?」「どうしよう?」と脳回路が作動する。農業体験はその きっかけを作ってくれる。
近代化が進む中で、カネ(幻想)にしか収束しないように洗脳された脳回路 に代わる観念機能を作動させられるだけの充足源= 活力源がある。子供達の中に生きる力を生み出す、農業はそんな可能性を秘めている。
 「昭和30年代の前半が一番充実していた。そのわけは、家族全員で仕事ができたから」
この百姓の言葉にある充実感。これも、家族や村社会に課題や規範を支える共認充足 [2]が根底にあったからこそ。
農業には近代化で失った、“人間の幸せ”伝える教育機能がある。

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