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江戸時代を取り巻く外圧状況

が降らなかったり 日照 時間が問題になったり・・
今も昔も、農 はやはり自然との共存、闘いが大前提としてあるのだなとみんなの記事 を読んでいて感じさせられます
今回は、びんさんの記事 [1] にも登場していた、最近るいネット [2] でも話題で、ずっと気になっている江戸時代 の話について書きたいと思います。
105056 なぜ、江戸時代の日本は滅亡しなかったのか? [3]
154765 3R循環型社会は、江戸時代の循環型社会ではない [4]
158333≪取っけえべえ≫と江戸時代の子供達は生産者同士の関係だった [5]

こんなサイトをみつけました。リンク [6]

1720年~1850年ころは、どうして人口がふえなかったのでしょうか
あなたはどう思いますか。
ア そのころは、子どもがあまり生まれなかった。
イ 病気 で人がどんどん死んでいった。
ウ 戦争 や地震・火山の爆発 などの災害で死ぬ人が多かった。
エ ときどき作物 の収穫がうんとへって、たくさんの人が餓死した。
 あなたはどう思いますか。みんなの考えを出し合ってみましょう。
なぜ江戸時代に人口がふえなかったか
 1850年は、まだ江戸時代(1603~1868年)です。
 その江戸時代には、長いあいだ人口が3000万人という時期がつづいたのですが、どうして、120年もの間人口がふえなかったのでしょうか。
 まず、江戸時代には、子ども があまり生まれなかったのか、というと、そんなことはありません。
 そのころは、8人兄弟・10人兄弟ということもめずらしくありませんでした。いまよりもずっとたくさんの子どもがうまれているのです。だから、「理由ア」は、正しいとは言えません
 それなら、この時代には、戦争や地震や火山などの災害 が多くて、それでたくさんの人が死んでしまったのでしょうか。そんなことはありません。戦争 について言えば、この時代にはまったく戦争がありませんでした。地震や火山の爆発 はありましたが、ほかの時代よりずっと多かったとは言えません。ですから、「理由ウ」も正しいとは言えません。
 実は、この時代には、たくさんの子どもが生まれても病気 で死ぬことが多く、あまり育ちませんでした。また、せっかく子どもが育っても、たがやす田畑がなかったり、その仕事がなかったら生きていかれません。
 一時は乏しい収入をみんなでわけあって、なんとかくらすことができても、天候 など関係で作物 の出来の悪い年がつづいたりすると、たいへんです。食べ物 がなくなり、栄養不良で病気 にかかりやすくなったり、文字通り餓死することにもなります。じっさい、江戸時代には35回もの飢饉があって、1年のうちに何十万人もの人々が餓死することがありました。
 たとえば、1783年~1787年には冷害が つづいて、とくに東北地方はひどい飢饉になり、津軽藩(今の青森県の約半分)だけでも、20万人もの人が飢え死にし、村中の人が死んでしまったところもあったそうです。実は、そんな心配もあって、子どもが生まれても、すぐに殺してしまったり、すてごすることもたくさんありました。
 結局、1720~1850年のころの日本では、農地の面積や農業技術や社会のしくみの上からいって、3000万人くらいの人口しか生きていかれなかったというわけです。

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学校の教科書 で、飢饉や災害が多かったということは勉強 していても、なんとなく、江戸時代は戦争 もなくて、大半が農業 に従事していて、なんとなく平和な循環型社会 だったというイメージを持ってしまっていたので、はっとしました。
こんなサイトもみつけました。
日本中世村落の紛争と和解リンク [7]
をめぐる争いって、ほんとに死活問題だったんですね。
105751環境問題は同類圧力の問題 [8]
環境が人類にとって適応的であれば人口が増加する。
しかし人口が増えると、他集団と境界を接するようにもなり、縄張闘争が発生する。
そうしたなか急に環境が悪化すると、縄張闘争が激化し、その突破口として農耕や牧畜などの新しい生産様式が生み出されたりもしたし、贈与というシステムで集団間の圧力を回避する手段も試みられたりしている。

江戸時代の循環型社会というのは、外圧がとてつもなく高い中だったからこそ実現できたのだということを強く感じました。
物事を考える上で、絶対外せない↓
29835置かれた環境を貫く 闘争圧力を把握せよ [9]
を痛感しました。

[10] [11] [12]