まるいちです。硬い話題が続いているので、今日は、やわらか~、おおらか~、ほのぼの~、な
「艶話=艶色咄=つやばなし」・・・そして農業の再生に繋がる話・・・をどうぞ・・・
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引用はJA.com [1]の「コラム 昔々その昔」 [2] からです。
母ちゃんはクマ蝉百匹
挿絵: 種田英幸
文: 種田庸宥 日本福祉大学客員教授
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土佐のわらべうた
おなごの えらもん
おなごのえらもん 鉦たたき
鉦を 3つに 割ってみよ
はちきん
はちきん はちきん
ギャアス ギャアス
夜啼き=ちょっとエッチな土佐落語
明治の時分、今は春野町になった、土佐弘岡の大小路という集落に、豊吉という若い衆がおりました。当時の若い衆連中は、若衆組を作っておりまして、性教育なども、もっぱらこの組でしたもんです。
「おい。ぼつぼつ蛍の出る時期じゃが、毎年今頃になると、妙にのぼせてくるねや」
「それよ。蛍と聞いただけで、娘の浴衣姿が、目の前にチラツクきに、不思議なねや」
「娘の浴衣姿となると、オレは蝉の方がピッタリくるねや」
「ホリャ、また豊吉の蝉が始まった。豊吉は子供の時分から蝉狂いじゃが、皆んなァはどうなら? 娘の浴衣姿は蝉と蛍のどっちがピッタリくらァ」
「そりゃ蝉よ。なんというても風情がある」
「豊吉は蝉のどこが良けりゃ?」
「ウン、蛍は啼かんが、蝉は啼く…」
この若衆組は、女房を貰ったり、独身でも25歳になると、組から外される仕組みになっておりました。
さて、蝉の豊吉は甲斐性なし。25歳で独身のまま若衆組を定年になりましたので、叔父が心配してやってまいりました。
「豊吉。オンシは女房をよう貰わんうちに、若衆組を外されたつか?」
「ウン…」
「25にもなって、好きな女の一人も居らんかや」
「居らん…」
「ほんなら、オレが女房を世話しちゃるが、どんな女が良けりゃ?」
「蝉みたいに啼いてくれる女がエイ」
この叔父の世話で、豊吉はようやく女房を貰いましたが、注文をつけただけあって、その女はなかなか啼きっぷりがよろしゅうございます。
あんまり毎晩啼きますので、後家の母親から文句が出ました。
「豊吉よ。なんぼいうたち、嫁はもうピット、こまい声が啼けんもんかよ」
「お母ァ。そんなこというけんど、ワシの子供の時分、お母ァじゃち、存外啼きよったぜよ」
「アテも啼かんこともないが、ヒグラシばあの啼きかたじゃったぜよ」
「お母ァがヒグラシなら、ワシの女房は何ぜよ?」
「クマ蝉が百匹よ!」
母系社会に生まれた夜這い
強い女たちの土佐版わらべうたからはじめました。“はちきん”はその代名詞です。
画家・種田英幸家の長女(30代後半)は、小学生の息子の道場への送り迎えだけではもったいないと、自分も柔道を始め、短い期間で初段をとって、最近の高知新聞をにぎわせました。彼女も土佐を代表する女性の一人です。
むかしばなしは、近代に入って間もなくの、土佐の私たちの村の落語です。故・司亭正楽の「続つやばなし」です。
合併前には、どの村にも若者宿があり、小学校を卒業すると、男たちはここで鍛えられました。
英幸氏と私の父は同級生ですが、二人は高等小学校に入った、満12歳のある日、若者宿の仲間と、隣り村の娘が女になったお祝いの会に呼ばれて、庭で相撲をとって帰ったそうです。
これは娘の夜這いを解禁し、通っていい男を選ぶ会です。大体、日替わりで数十人選ばれるのですが、娘が妊娠すると、通った男たちの中から、娘の将来を幸せにするだろうと、娘の一家が予測した男が夫に選ばれます。男には拒否権はありません。我が国には、つい最近まで、父のDNAなど問題にしない母系社会が続いていたのです。
ですから、クマ蝉百匹の声の出る女房の経験には豊吉はおよびません。でもそれが豊吉にはうれしいのです。こんな女と男の関係を、現代のあなたはどう思われますか。こうやって選ばれた友人、親戚が私にも何人もいます。
こんなおおらかな
「男女
関係」「性
」「夜這い
」の話・・・実は僕も地元の80歳になる爺さんから聞いた事があります。これは大昔の話じゃない!・・・つい最近、戦前まで続いていたんですね

太陽のような女性達
と、女性を畏敬し
、守る男達
・・・深い共認充足 😀 とそこから生まれる活力
・・・そして、みんなが安心して生きていける母系集団
・・・がある・・・農業や農村、日本の原型
⇒「自然の摂理」・・・に学ぶべき事はたくさんあると思います。
社会の再生、農業の再生とは「共同体の再生」「母系集団の再生」ではないでしょうか!?
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もうひとつ、同じコラムから「艶話=艶色咄=つやばなし」を紹介します。
読みたい!!!って思った人
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同じく、JA.com [1]の「コラム 昔々その昔」 [2] からの引用です。
艶色咄=つやばなし
挿絵: 種田英幸
文: 種田庸宥 日本福祉大学講師
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煙草をくれえ
こないだ、赤ちょうちんで豚の足を噛りもって一杯やっておりますに、お隣がそれは賑やかでございます。
「俺ァ、今晩で酒をやめるきに、これから誘うなよ」
「なぜこんな美味(うまい)ものをやめらァ?」
「なぜち、命が惜しいきよ」
「オンシも死ぬる程酒を飲むこたないわや。酒は“百薬の長”と言うてねや。ボッチリ飲みよったら、かえって長生きするぞ」
「俺ァ、そのボッチリから上へ過ぎるきにいかなァや。煙草も今朝からプッツリやめちょる」
「肺ガンがおとろしゅうてか?」
「そうよ。アレも昨夜(ゆんべ)しおさめをした」
「しおさめをしたち、アレだけは女房が合点してくれまいが」
「インニャ、無理矢理に合点させた」
「フーン。ところで、オンシは幾歳まで生きる心算(つもり)なら?」
「そうじゃねや。せめて八十迄は生きたい」
「八十か。今からざっと四十年も酒も飲まん、煙草も吸わん、アレもせん。俺じゃったら生きちょってのこたない。死んだがましじゃ」
「おい、俺に煙草をくれえ」
漬けもの
えー、のどかな農村風景でございます。
ある家で、夫婦が裏口でいい争っている。きくとはなしにきいてみると、
「仰向けのほうがいいわ」
「いやあ、うつぶせのほうがいいよ」
「いやですよ、うつぶせなんぞ。充分に入らないわよ。こぼれたらどうするの。わたしのいう通りにしなさいよ」
「じゃあ、そうするか」
あとはブッツリ。二人は若い。
この会話を壁越しにきいていました、となりの亭主、
「ははあ、さては真ッ昼間から、おっぱじめるつもりだな。声のしなくなったところを見ると、いよいよ始まりだな」
と、境の松の木のかげから、ソーッとのぞくと、夫婦して瓜を漬けていた。
氏子づくり
ある八幡様の藪のあっちこっちで、夏になるど若い男女が遊んでばりいるがら、神官さんがたまりかねで一組を押せづげだってね。
「神を侮辱するな」て怒ったれば、
「氏子を増やしてっとごだがら、どうぞ勘弁してけでがんせ」て謝ったどさ。
(語り手 岩手遠野 菊池輝士)
嚊下夫上(かかとうじょう)
ある所(どご)に大っきな百姓家あったど。一人息子さ嫁こ娶(と)んで、いろいろ吟味して、いい嫁こもらったど。とごろが何が原因なのが、二人の仲がうまぐいってねようなんで、親達が心配して仲人呼んで訊いでもらうごどにしたど。そしたら、
「男ば尻に敷ぐような女(おなご)は末恐ろしくて、とっても一緒になってられねえ」
て、初床の晩から馬乗りになられだごど仲人さ喋ったど。仲人は、あんなめんこい娘こが思ってもみねようなごどやるもんだなど思って、そのわげ訊いでみだど。すたれば、
「おら、今までお父(ど)さんどお母(が)さんの言う通りにすれば間違いねど思って暮らしてきすた。ある晩のごどだが、お母さんがお父さんの上さ乗さって仲良ぐしてんで、夫婦の交わりはああいう風にするもんだど思って、おら、おしょすがったども(恥ずかしかったが)、精一杯努めだつもりでがす」
て言うんで、仲人は、
「そうが、そうが。男女も睦(むつ)み事にこれどいう型はねども、嚊下夫上と言ってな、聟(もご)さんに導がれる通りに素直についでいげば間違いねんだ」
て語って聞かせだど。「親は子の鏡」どはよぐ言ったもんで、親はどごまでも気が休まるごどねえもんだな。
(語り手 宮城 熊谷四郎兵衛)
農作業の多くは、単純重労働の積み重ねですね。実は私も小作百姓の末裔なのですが、夏の田をはいずりまわる草取りがつらくて、農村から逃げ出した一人です。
艶色咄には、そのつらさをふきとばそうとする、エネルギーと笑いがこめられています。
今回は二通りの艶色話を紹介しました。農村のじいさんたちの、ちょっとナマッぽい話と、現実の行動と艶っぽさを想像させようとする、高座の小咄です。
「煙草をくれえ」は半世紀前から、高知で活躍し、私もおつきあいさせていただいた、土佐落語家、司亭升楽氏のラジオ寄席(河野裕「よりぬき土佐落語艶ばなし集」)から。「漬けもの」は、江戸の寄席の小咄(小島卓二「艶笑小咄傑作選」)からです。
「氏子づくり」と「嚊下夫上」は、「東北艶笑浮世ばなし」佐々木徳夫著、からです。
実はタイトルも同じの、似たような話が、各地にあります。これは、各地を売り歩いている行商人たちが、自分を売り込むために、聞いた話を、面白おかしく拡めたものだとは、昔話にくわしい、画家・種田英幸氏の話ですが、皆さんの地方ではいかがでしょうか。

