雅無乱 [1]です。
さて、先日当ブログでご紹介しました『自然体験学習教室』 [2]ですが、徐々に申込者が増えて、盛り上がってきています。
昨年の受講生で、今年も受講してくれる子どもたちも何人かいるんですが、何より嬉しかったのは、そのうちの一人からこんなコメントをもらったことです(類塾ネットより [3])
http://juku.rui.jp/ruijnet.html?i=200&c=400&m=34941 [4]
>今まで僕を育ててくれた、『自然体験』に、
>次からは、僕たちがお礼をする気持ちでいってきます。
http://juku.rui.jp/ruijnet.html?i=200&c=400&m=36079 [5]
>供給者になりたい。
>今まで六年生に教えてもらい、下の学年を引っぱってもらい、すごく助かった。
>今度は僕が、下の学年を引っぱって行く番だと思っています。
彼の言葉で最も印象的なのは「供給者になりたい」という言葉です。
[6]
考えてみれば、今の都会の子どもたちは、「消費者」として生まれ、「消費者」として成長します。蛇口をひねれば水が出るのがあたりまえ。農作物はキレイに仕分けられてスーパーに並んでるのがあたりまえ。欲しいものがあれば、親に連れられてショッピングセンターに行って買ってもらう…。快適で便利で、金があれば何でも解決する、という都市空間で育つ子どもたちにとって、「誰かに何かを供給する」という体験つまり「供給者になる体験」はなかなかできません。
このことについて、最近話題になっている本
[7]
『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』(内田樹著 講談社)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062138271/aiw-22/ref=nosim/ [8]
には、次のような内容が書いてあるそうです。
2月11日の朝日新聞に載っていたこの本の書評から一部転載します。
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「消費社会にしがみつき未来から逃走」([評]学習院大 中条省平)
>副題が示す方向へと日本は変わっている。著者はその変質の理由を、経済原理による社会の均質化だという。日本の将来を絶望させるに足る、恐ろしいほどの根源的な洞察だ。
>(中略)今、日本の子供たちは家事を手伝う必要はない。そのかわり、消費者としての自分を確立する。(中略)4歳児でもコンビニで金と好きな商品を交換できる。金は持つ人の身分を問わない。これが金のフェアさだ。
>今の子供はしばしば「これを勉強すると何の役に立つんですか」と聞く。消費者として自分を確立した子供には当然の問いである。消費者にとって、自分がその有用性を理解できない商品は意味を持たないからだ。
>だが、「何の役に立つか」と問う人間は、ことの有用無用について自分の価値観が正しいと思っている。勉強によって自分の価値観そのものがゆらぐことを知らない。幼くして全能の消費者となった立場から、今の自分の役に立たないものを退ける。
>この態度を、今はやりの自己決定論、自己責任論が後押しする。勉強しなくても、自分で決めてそのリスクの責任を負えばよい。未来の自分に目をつぶり、今の自分の無知にしがみつく。役に立たない勉強をやらなくて何が悪い。こうして学習からの逃走が始まる。
>(中略)金による交換は、平等で、透明だ。そこに魅力がある。だが、その交換がスムーズに行われるためには、交換の場を下支えする社会的制度や人間的資質を開発する必要がある。この人間的資質は、教育以前には「何の役に立つか」分からないものだ。教育の場で「何の役に立つか」と問う消費者マインドが、学習からの逃避、労働からの逃避を原理的に支えている。教育者と子供たちが「何の役に立つか」と問いつづけるかぎり、潜在的な人間的資質は開発されず、消費者でしかない子供(将来の大人)が再生産されるばかりだ。(後略)
これを読んで、学級崩壊や、「オレ様化する子供たち」(なんで屋カー工房:http://www.nandeya-card.net/blog/2007/02/post_105.html [9])や、今話題になっている「給食費を払わない親」(家庭を聖域にしてはならない:http://www.katei-x.net/blog/2007/02/000138.html [10])や、ニート(超企業類グループの挑戦:http://www.kyoudoutai.net/blog/2006/11/post_13.html [11])などがなぜこんなにも増えているのか、かなり有力な手がかりが得られたように思いました。
今の都会に住む子どもたちは、生まれながらにして「消費特権階級」で、金を払いさえすれば何でも揃い、どんなサービスも受けられる便利な空間の中で成長して「自分を確立」します。
「消費生活の中で確立した自分」は、金さえ持っていれば、数ある商品の中から自分が価値を認める商品やサービスを選択する権利を持っています(その選択された商品やサービスにそれ相応の代金を払います)。
「消費」という行為に必要なのは「金」だけであって、「状況を把握する能力」、「人の期待を読み取る能力」、「他人と話し合って協力して実現する能力」など、社会に出て何かを誰かに「供給」しようと思ったら必ず必要になる能力は、一切求められることはありません(だから、最低限の会話ができる4歳の子供にだって買い物はできるわけです)。
実際に、大人になって社会の現場に出たときには、そんな「消費者としての自分」「お客様としての自分」をいかに振りかざしても、何の役にも立たちません(だから必然的に先輩社員に徹底的にダメ出しをされることになり、結果的にそれに耐えられずに3年以内に辞める新入社員が50%…ということになっているのでは?)。
社会に出て役に立たない「消費者としての自分」しか確立できないような状況に子供を置いていること自体が、現在社会全体で話題になっているすべての教育問題の根本的な原因なのではないでしょうか。
「供給者」「生産者」としての体験を子供のうちから積ませてあげることが、これらの社会問題を解決するためにも、子どもたち自身の将来のためにも必要なのではないかと思います。
『自然体験学習教室』は、単に、普段接する事が無い自然に触れるとか、農業を楽しく体験する、というだけではありません。農作物を苗から収穫まで育てる苦労を実感したり、自分たちで育てた野菜をお客さんに販売したりする中で、「仲間たちと協力しながら、誰かに何かを供給する」ということが、いかに大変かを子どもたちに体感し学んでもらうことを目的としています。
そのような事を考えに考え抜いて、農園や地元の市場や、市街地の商店街の方々に想いを語り協力してもらって実現した『自然体験学習教室』ですが、実際に運営してみて、思いがけない新しい発見がありました。
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それは、私たちスタッフが、「これは子どもにとってはちょっとたいへんかな?」と思った農作業も「ちょっと難しいかも…」と思った販売体験も、すべての「生産者」「供給者」としての体験が、子どもたちにとっては、どうやらとても「やりがい」を感じて「楽しい」ものであるということです。
『自然体験学習教室』を体験してくれた子供たちにとって「仕事」は“しんどいもの”ではなく、むしろ仲間と一緒に苦労し、自分たちで考えて工夫すること自体が、子どもたちの「元気」や「活力」につながっているようなのです。
体験した子どもが、上に紹介した投稿文のように「来年からは、僕が供給者になって下の学年の子をひっぱっていきます」、と実に頼もしいことを言ってくれるまでに成長してくれたことが、それを証明しています。
このことは、私たち『自然体験学習教室』スタッフ一同にとって、言葉に出来ないくらいの喜びでした。
将来、社会に出て行く子どもたちに、与えられた「場」で消費活動しかできないような存在ではなく、仲間と協力しながら「周りに何かを供給」していけるような存在になって欲しい。その活動の中で、子どもたちが「仕事」のやりがいや、何かを成し遂げたときの充実感を味わって、元気いっぱいになってほしい。
子どもたちが、そんな活動ができる「場」を、これからも提供していけるよう、『自然体験学習教室』スタッフは精一杯がんばっていきます。
元気な子どもたちの参加を待っています!!
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商品の詳細、年間スケジュールや参加費用などはこちらの「類農園」の「自然体験学習教室」のページをご覧ください
http://www.rui.ne.jp/nouen/nougaku.asp [14]
昨年の開校日の様子は、ブログ★自然体験学習教室の広場★で見ることができます。
http://blog.goo.ne.jp/sizentaiken/c/6848cf368fa6baada660615b6147cca2 [15]
お申し込み、お待ちしています!