採集生産・狩猟生産の時代にあっては、人類は、その領域に生息する生物と共存と競合の関係にあったであろう。そして、自然の実りの経過や動物の移動繁殖のパターンを注意深く観察し、機を失しない採集の時や狩猟の方法を選んだに違いない。
だからこそ、気候の激変という危機(リンク [1])や人口増という外圧(リンク [2])に直面するや、農耕への転換という舵取りも可能になったのであろう。人類500万年の歴史の99.8%に及ぶ極限時代を、自然との同化・応合によって自然の摂理を読み解くことがあってこそ、約1万年前の「農業革命(リンク [3])」が実現された。
しかし、同一地域内に生息する生物にとっては、自然の実りと農耕による生産物の区別などしないので、農耕の開始と同時に鳥獣害対策の必要は刻印され、爾来、「鳥獣害対策」は、農業生産にとって積年の課題と化した。
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●獣害対策としての里山
豊かな植物資源のある温帯モンスーン地帯においては、まずなによりも、鳥獣の生息に必要な生息域があったので、人類との棲み分けが成立した。さらに、地域集団の共同管理による「入会地」あったので、そこを、共同体規範に基づいての『手入れ』をすることが、自然界と人間界との中間領域としての「里山」を形成することになり、それが緩やかな鳥獣害対策として機能した。
一方、過酷な自然環境にあった西アジアやアフリカの地域においては、人間中心主義的な土壌もあって、「獣害対策」が対敵闘争として前面に出てくる。
アフリカのマサイ族においては、農作物を草食獣の家畜が食い荒らしても、獣害対策としての柵を設けていなければ補償の対象とはならない(リンク [4])という。牧畜や遊牧においては、肉食獣は草食獣や人間にとっては天敵であり、それだけに確たる対敵闘争として意識されたに違いない。
「農」と「牧」が一体の西アジアの初期事情と、水田稲作が主体の弥生時代以降の日本の事情は、大いなる違いがありそうだ。
●環濠集落

↑「外土塁環壕集落の性格 [5]」の添付図版より
「環濠集落」をめぐっては、様々な解釈がなされている。
・外敵や獣などから集落を守る防御機能
・水稲農耕に必要な首長権力や、共同体の結束強化
・内部と外部での階級差を反映
・牧場の原型から家畜の収容
・上記の発展形としての収容所
私は、土塁が内側なら、害獣対策。(←今回のテーマに合いそう)
さらに濠が多重に成ったり、逆茂木が追加されたら、外敵対策。
土塁が外側なら、家畜の収容。辺りが順当かな? と思っています。
外圧状況に応じて多様に変化していったのではなかろうか?
興味のある方は、ご覧ください。
環濠集落(Wikipedia) [6]
外土塁環壕集落の性格 [5]
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by びん